『永遠の道は曲がりくねる』 宮内勝典

 

永遠の道は曲りくねる

永遠の道は曲りくねる

 

 

有馬は、波照間島の、精神科の病院で雑役係として働いている。
彼は、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米などを歩いてきたが、年上の友人、田島医師に「来ないか」と誘われて、この地にやってきたのだ。
この病院の創始者霧島は、六十年安保闘争に、全学連を率いて敗北した。基地が集中するこの島こそ、日米安保の隠れた核心なのだ。ここに米軍は今も居座る。その責を負うつもりで、一介の精神科医として、この島にやってきたのだという。
そのころ、沖縄の精神病は、本土の二倍だったそうだ。
統合失調症精神分裂病)は三倍ぐらいだった。
戦争のせいですか、と有馬は問う。そうとしか考えられない……


精神病といっても、その土地(文化)には、独特の症状があるそうだ。
神がかり、悪霊にとりつかれたり、心的な嵐がくることがある。不思議なことに、その嵐を乗り切ると、人を癒す力を身につけるひとたちがいるという。
有馬の周りにいるのは、ユタと呼ばれるシャーマンのような女たちだ。
いっそ死にたい、死んでしまおう、と何度も思うような辛酸(そんな言葉さえ生ぬるい)をなめながら、生きながらえてここにいる人たち。彼女たちには、共通する静かな強いものがある。
なぜ、女ばかりなのだろう。この島では、女の方が霊的な力が高いと信じられている。


遠い昔から沖縄は苦しめられてきた。
ただ普通に暮らしたい、あたりまえに生きたい、という望みさえ叶わないこの島の人々のあまりに惨い生。暮らし。死。


始まりは沖縄だったが、この物語は、世界中のはるかな国々でおきている痛みと痛みで結ばれている。
結び付けたのは女たちだ。
インディアン居留地、中東、ビキニ環礁
核実験と人体実験、差別、虐待、難民……


女たちが語る一言一言が突き刺さってくる。わたしには読むのがつらい。
でも、語ることが、耳を傾けることが、女たちの祝祭なのだ。
それらはみな過ぎたことではなかった。どこかで今も起こっている。これからも起こるにちがいない。
なぜ人間はそんなにも冷酷になれるのだろう。残虐になれるのだろう。
残酷さこそ、人間らしさなのだろうか、そんなことを考えていた。


心に残るのは、引用されていた、アインシュタインフロイトの間で交わされた手紙だ。
人間から攻撃性を取り除くことはできそうもない。
それでも、
「文化が変われば法のあり方も変わっていく。文化は知性を強め、力を増した知性は衝動をコントロールしはじめる。文化こそが戦争の歯止めになる」
「文化の発展を促せば、戦争の終焉に向かって歩みだすことができるはずです」
遠い、楽天的な夢なのだろうか・・・


精神科医の田島は有馬に語った。
「それぞれの土地には固有の文化があって、その文化そのものが治癒力になる」
物語には、沖縄の持つ豊かさがたくさん出てきた。自然はもとより、独特の文化が強く息づく島なのだ。
知らなかったことがたくさんあった。古代社会の名残、と言われるような古い習慣を、人々は日々の暮らしのなかで、当たり前に守っていた。
余りに苦しい歴史と今を生きている沖縄は、独特の文化を抱いて、なにかをじっとためているのではないか。


この物語には、ダイナミックで美しい自然描写がちりばめられている。
海、風、光。
「半球の空は、藍色から群青へ、ウルトラマリンへ変わっていく。その奥へ、星々が吸い込まれては消えていく」
世界中で酷いことが起きているのに、自然はこんなにも美しい。


そして、人たちは恋をする。
普通であり続けること、当たり前に暮らしていくことは、なんて勇敢なことなのだろう。


有馬の親友ジムは宇宙ステーションにいる。
「それでもやはり奇跡の星だ」とジムは有馬にメールを送る。
光の条となって高速で「水の惑星」の上をわたって行く宇宙ステーション。
地上では、女たちが、ゆっくりとした歩みで旅を続けている。自分たちの記憶を携えて。
きっと一瞬、宇宙ステーションと女たちとはすれ違う。両者ちっとも気が付かないうちに。
湧き上がってくるすがすがしさ。
物語は縦にも横にも大きい。縦にも横にもつながっている。