『明るい夜に出かけて』 佐藤多佳子


わたしが、深夜ラジオを聞いていたのは、高校生時代(何十年前?)だ。
今、深夜ラジオなんて聞く若者がいるのだろうか、と思っていた。
知らなかった!
現在の人気番組のことも、それから、ツイッターハッシュタグで実況しながら繋がり合うリスナーたちのことも。
番組に投稿する人のことを「職人」と呼び、なかにはカリスマ的な「職人」がいることも・・・
ほんとに知らなかった。
プロの歌手や画家・イラストレーターではない「歌い手」や「絵師」が、ネットによって発信する作品に、何千人ものフォロワーが集まることも。


場所は深夜のコンビニで、深夜のバイトをする青年が主人公。才能もあり、センスもよいし、頭もよい彼、もって生まれた、ちょっと人とは違う部分をつつかれて、今は大学を休学している。
ここに集まる十代・二十代の四人の個性豊かな面々が、なんということもなく、一つの輪になっていく。
人付き合いのへたくそな、ちょっとへんてこりんな連中、と思ってみていた彼らだけれど、それぞれに葛藤していたり、大胆そうにみえてきわめて臆病だったり、だんだん、見えてくるものがある。
丁寧に描かれていく彼らの内側外側。
彼らは互いのいろいろな面をだんだんに知っていくのだが、無理に踏み込まないのが、彼らのやさしさだ。(時々、もどかしくなる…)


「そもそも、前向きって、普通に思われてるほど、絶対的にいいことかな?」という言葉が、わたしには心に残った。
主人公が「実家」に寄せる思いも突き刺さった。嘗て、わたしも、実家は、旅だつ場所だった。安心して旅立つことができたのは、振り向かなくても、「実家」がそこにあることを知っていたからだ。いつでも微動だにせず。
長い年月が過ぎ、今はわたしが実家(の一部)になっている。この家から旅だつ者たちを見送り、いつでも変わらずにいて迎える場所に。どこまでも飛んでいってほしい。でも振り返ればいつでも帰れる場所として、この場所を思い出してほしい。


タイトルの「明るい夜」ってなんだろう。真夜中に浮かぶコンビニの明かりだろうか。深夜ラジオの発信源の明かりだろうか。
「明るさを求める気持ちは、すでに、きっと暗い。でも、その暗さを心に抱える人を俺は少し信じる。そんな蛾のようなヤツらなら、通じる言葉がある気がする」
ネットの時代なのだなあ、と今更に思う。
ひとりで二つ(以上)の名前を持ち、二つ(以上)の世界に生きる若者たち。(・・・ああ、こんな文章を書いているわたしもそうだ。)
けれども、人が人であることは変わらない。
サマータイム』や『黄色い目の魚』のころの若者とこの本の若者、きっとよく似た目をしている。
あがきながら、迷いながら、自分の道を探して彷徨う。緩やかに繋がっていく。