『テディが宝石を見つけるまで』 パトリシア・マクラクラン

テディが宝石を見つけるまで

テディが宝石を見つけるまで


犬は、言葉をしゃべります。
でも、詩人と子どもたちにしか聞こえません。
                パトリシア・マクラクラン
ぼく=テディは、激しい吹雪の日、森の中で道に迷った男の子と女の子をみつけた。
「ぼくが、シルバンさんに救ってもらったように、この子たちを救ってあげよう」
そうして、「うち」に連れて帰ってきた。
テディはアイリッシュ・ウルフハウンドという種類の犬なのだ。
テディは言葉をしゃべる。詩人と子どもだけに聞こえる言葉を。
テディは、人間の言葉を聞いて育ったのだ。
詩人のシルバンさんは、保護施設からテディを家に連れて帰ってきてから、たくさんの詩や物語を読んで聞かせた。
(その物語のタイトルが並んだくだりに、わくわくします。愛犬のためにそういう選書をするシルバンさんのことが、もうそれだけで大好きになりました)
テディが、一番好きなのは絵本『にぐるまひいて』
シルバンさんも、テディがこの絵本を好きなことを知っていた。
テディが初めてしゃべった(そして自分の声にびっくりした!)言葉は「『にぐるまひいて』は詩だね」だったのだ。
こういう言葉からしゃべりはじめる犬も、詩人なのだろう。


詩人と犬が、森の中の小さな小屋で、ただふたり。物語や詩を味わっている。そのかけがえのない時間。調和。
幸福で平和な光景が、ぼんやりと明るく浮かび上がってくる。


でも、それはもう過去なのだ。
シルバンさんがテディの前から――この世から姿を消して、まだ三日しかたっていなかった。
吹き止まない雪嵐の中、丸太小屋で、テディと子どもたちが過ごしたのは、このあとの三日間。
子どもたちがそれぞれに抱えている寂しさと不安。犬が抱え込んだ喪失感と。ともに傷つき合った小さなものたちが身を寄せ合っている。大切なことを話す言葉は少ない。強いて尋ねたりもしない。たくさんのことを話したし、笑ったけれど。
ただ、互いに対するいたわりを黙って共有している感じ。ここにもかけがえのない時間がある。ここにも、ひとつの調和がある。


思い出すことがある。いつか、シルバンさんは、テディに言ったのだ。
「子どもたちは、ちっちゃな真実を語るんだ。詩人はそれをわかってやらなきゃいけないんだよ」
ちっちゃな真実は、ほんとうにちっちゃいから、聞きとるのは難しいのかもしれない。犬の言葉と一緒だな、と思う。詩人と子どもにしか聞こえない犬の言葉と、ちっちゃな真実は、似ているような気がする。
二人の子どもたちは、ちっちゃな真実を語っていた。そして、犬もちっちゃな真実を語っていた。
子どもたちも犬も、それをちゃんと聞いていた。三にんのなかにある静かな共感が、このばしょに、嘗ての幸福な光景とは別の、もうひとつの光景をつくりあげている。
三にんそれぞれが抱えていた「ちっちゃな真実」が、空気の中に溶けだしていく感じだ。かなしみや不安や、さびしさや・・・それらが別の、柔らかくて気持ちの良いものに変わっていくようだ。


今はもういないシルバンさんの言葉が、テディの思い出のなかからぽつぽつと、でも鮮明によみがえる。そのたびに、シルバンさんはここにいるのだよね、テディと一緒にいるのだよね、と思っていた。


やがて、長い雪嵐はやむ。景色は変わる。家の中のものたちは、外にでていくだろうと思う。
待ち望んでもいて、一方でそうならないでほしいと願ってもいるその時がくる。
そこに別の願いが生まれてくる。やはり、子どもたちも犬も言葉に出さないから、本のこちら側で私は一生懸命願います・・・
だから・・・
だから、ね。


このささやかな時間がただ愛おしい。