『年月日』 閻連科

年月日

年月日


その村では、長いあいだ、ひどい日照りが続いていた。
作物は全く育たず、村人はみな、乾ききった土地から出ていった。
残ったのは72歳の先じい、ひとりだけだ。
たまたま彼の畑から、ただ一本だけ、トウモロコシが芽を出しているのをみつけたため、このトウモロコシの守をするために残ったのだ。
厳しい雨乞いに両目をつぶされてしまった盲犬メナシが、彼の相棒だった。


先じいの村の雨乞いは、龍神の祭壇に生きた犬を据え、太陽を睨ませ、吠えたてさせる。
太陽がじりじりとあとずさりして、風と雲が現れるまで。(さもなければ、犬の目がつぶれるまで)
また、先じいは、続く日照りの昼間、太陽に向かって、鞭をふるう。照りつける太陽を罰するためだ。
先じい(たち)には、太陽は、畏れ敬う存在ではなく、屈服させるべき敵だ。


何か月も、およそ一年近くにわたって続く日照り。
天、地、生きものたちすべてが牙をむいて襲い掛かってくる。
もういい加減になんとかしてくれ、と読みながら喚きたくなる。
この静かな地獄の、過酷な一刻一刻に抗う、骸骨のようなこの老人のどこにそんな力があるのか。
そして、盲犬、なぜそこまで忠義を尽くそうとするのか、静かな健気さがたまらない。


酷い光景が広がっている。
ここで、人と犬とに守られて、トウモロコシは育つ。決して順調ではないが、この日照りに枯れずにいるのは奇跡のよう。
老人と犬とが食べるために育てているわけではない。
それどころか、トウモロコシのために自分の命さえも犠牲にしようとしている。
ただ一本のトウモロコシ。
自分一人では育つこともできない、一日だって生きながらえることもできないこの植物は、先じいにとって、いったいなんなのだろう。


読み終えて表紙の絵を見ていると、まるで、トウモロコシのほうが人と犬とを守っているように見えてくる。
トウモロコシを中心にして、人も犬も光のなかにいるように見える。
希望や絶望から切り離された静まりのなかで、三者、輝きを増しているように見える。