『馬を愛した男』 テス・ギャラガー

馬を愛した男

馬を愛した男


詩人テス・ギャラガーの初の短編集。
各短編の主人公たちは誰もかれも、傍からみたら変り者、と思うくらい濃い。研ぎ澄まされた感受性の持ち主でもある。
描かれているのは、何気ない日常の瞬間だけれど、私なら、その瞬間に、立ち止まりはしないだろう。こだわりはしないだろう。
でも、ここで立ち止まり、こんなふうにこだわると、そうか、風景がこんなふうに見えるのか、と驚く。
実際に出会ったらちょっと難しそう、と敬遠しそうな人ばかりだったのに、
その人の見ている風景の側から逆にその人を眺めたら、なにかの結晶のような繊細な美しさが透けてきて、あわてている。


どの物語にも、この一瞬がその物語全体を照らす光のようだ、と思える一文、一節がある。


『馬を愛した男』
家の中では家族に見守られながら父が死んでいこうとしている時、「わたし」はそこにはいない。
父のお気に入りの場所の杉の木の下で、物思いに耽っている。
「自然は沈黙の価値を知っている。沈黙の奥に隠されたものを知っている。言葉に頼って生きる生き物にとって、沈黙が何を意味するかということも自然はちゃんと知っている。」


『遡求権』
…そういうわけで彼女の家は、火のなかにある。「この家を殺すことにしたの」という彼女と一緒に、燃え盛る家を見守っているような気持ちになる。
燃えていく家が、このとき、たまらなく愛おしくてたまらなく美しい、と思ってみている。


『眼鏡』
「自分は眼鏡の嫌いな人の集団に入れられてしまったのだと思った」という一文に、ぐぐっと風景が逆転したように思えた。
今まで、こう、と思ってみていた物どもが実はさかさまだったのだ、と気が付いたような感じ。


ジェシー・ジェイムズを救った女』
手紙を書こうとしながら書けないでいる「わたし」
「親愛なるドティ」とタイプしたまま、午後じゅう、ずっとその続きを考えているのだけれど、結局出さないのだけれど、
「なんだかその日の午後ずっとドティがそこに座ってわたしの話を聞いていてくれたような気がした」
もう一つの短編『娘時代』の、二人の女の無残な再会の後味と重ね、この言葉が、彼女が過ごした一夜への答えのように感じる。


最後に『訳者あとがき』で、訳者・黒田絵美子さんは、作者テス・ギャラガーを訪ねた折の出来事を綴っている。
これが、この本のもう一つの短編物語ではないか、と思うほど興味深い。
訳者が会ったテスも彼女のお母さんも、物語の主人公たちの一人のようだ。
そもそも、この本の登場人物たちが、作者や作者の周りの人たちをモデルにしているのだそうだ。