『タトゥーママ』 ジャクリーン・ウィルソン

タトゥーママ

タトゥーママ


全身タトゥーだらけのマリゴールドが、スターとドルの母親。
酒におぼれ、ときどき出ていったきり一晩中帰ってこなかったり。
まともなごはんなんか作ってくれたことがない。
ときどき、おかしくなる。
三人の関係を見ていると、だれが本当に母親なのか、わからなくなる。
・・・というよりも、子どもたちがよくもここまで無事に成長したことが不思議なくらいだ。
スターが逃げ出したくなるのも無理はない。(むしろ逃がしてやりたい。ドルだって。逃げる場所があるなら)
でも、子は親を捨てない・・・捨てることなんてできない。
どこまでいってもただひたすらに、この母が好きで、この母がおかあさんでよかった、と、ドルの言葉は痛ましいくらいだ。


物語は下の娘ドルの視点で語られる。
だから、ドルが信じる母の最も美しい部分をドルの視点で、わたしは受け入れる。
こんなに滅茶苦茶、実際、ドル自身、その滅茶苦茶さに恐れをなしている。本当におかしくなってしまうのではないか、帰ってこないのではないか。
しかし、恐れるほどに、母親の天性の美しいものが際立ってもくる。
マリゴールドの純情さ、一途さには、惹かれないではいられない。
彼女は、人を恨んだり憎んだりしたことが、ほんとうにあるのだろうか、とふと思う。
ひどい育ち方をしたのだって。そして、これまでに受けたひどい仕打ちに対するひどい言葉も出てくるのだけれど、悲しみや苦しみはあっても、それはきっと憎しみには繋がっていない。
彼女の想像力のみずみずしいこと、ドルに語るお話の美しいこと、楽しいこと、なんとわくわくすることか。
そして、娘たちを心底愛している。それだけじゃだめ、と思うけれど、そして、それなのになぜ、ともおもうけれど、さらに、愛し方が違うんじゃないかとも思うけれど。
さっき、子は親を捨てない、と書いたけれど、この母も子を手放すことなど思いもよらない。愛は双方向だ。
三人、母と娘というよりも、ひとつの塊のようだ。


娘たちは13歳と10歳。そして、母親は?
様々な問題を抱えつつ互いを大切に思う、だんごのようなこの三人が、最初は、不安で不安でならなかった。
どんなに互いが求めあっていても、このままで家庭はなりたたない。バランスはすでに壊れている。互いに傷つけあい互いを壊してしまうしかないだろう。
この世のすべてからはみ出した石のような塊と思った。


思いがけない転機が訪れた時、見まわせば、世の中はそんなに捨てたものではない、と思えるのだ。
この先、マリゴールドはマリゴールドのまま変わらないだろう。一緒に暮らす娘たちの苦労が思いやられる。
それでも、この三人、三人ともが、いつでも安心してSOSを発信できる場所があるなら、一人ひとりの声をきちんと拾って呉れる人たちがいると信じられるなら、この親子は、家族としてやっていける。きっときっと。
一緒にいたい家族が一緒にいるために、私もまた、その声を聞きとれる世界の一部でありたい、と思う。
そして、足りないところがたくさんあるけれど、それを突き抜けるような三人三様の(もしくは明らかに母譲りの)輝かしい才能が大きく花開いてほしい、と願う。