『青矢号』 ジャンニ・ロダーリ

青矢号―おもちゃの夜行列車 (岩波少年文庫)

青矢号―おもちゃの夜行列車 (岩波少年文庫)


イタリアの伝統では、子どもたちにプレゼントを持ってきてくれるのは、サンタクロースではなく、ペファーナというおばあさんの姿をした魔女なのだそうだ。
一月六日、カトリックエピファニー(公現祭)というおまつりの前夜に、古ぼけたほうきにのって家庭を一軒一軒まわるのだそうだ。
訳者による『物語のまえに』によって、この伝統について教えられてから、物語を読み始めた。


物語はペファーナの店からはじまる。
サンタクロースにもいろいろあるように、ペファーナにもいろいろあるにちがいない。なかでもこのペファーナときたら、魔女というよりは、おもちゃの宅配屋さんではないか。
あらかじめ、子どもの親が、代金をこっそり払っておき、その金額に応じてプレゼントが配られるシステムらしい。
だから、子どもにプレゼントを買ってやれない貧しい家庭には、ペファーナは決して訪れないのだ。
今年のエピファニーにプレゼントをもらえなかった少年フランチェスコがペファーナを訪ねてくるが、けんもほろろに追い返される。
フランチェスコに同情したペファーナの店のおもちゃたちは、店を抜け出し、みんなでフランチェスコのところへ行こう、と決心する。
おもちゃたちの旅が始まる。


ペファーナの世知辛い姿に出会って、一気に夢がしぼむ気持ちになるが、そもそも夢とはなんなのだろう。
種も仕掛けもあるものを最初から夢などとは呼んではいけないような気がする。
だから、形だけの「夢」などは、最初にお引き取り願いましょう、ということかな、とこのペファーナに思うのだ。
そもそも、サンタクロースにしても、ぺファーナにしても、きっと、子どもたちの枕元に届けたいのは、値の張るおもちゃのはずがないではないか。
そうして、逃げ出したおもちゃたちを見ながら、考える。このおもちゃの姿をしたおもちゃたちはいったい何ものなのだろう。
くまやいぬのぬいぐるみ、人形たち、クレヨン、そして船や飛行機、電気機関車「青矢号」まで・・・
見かけはおもちゃだ。おもちゃ屋さんのウィンドウに飾られているおもちゃ。
けれども、本当の姿は、ちがうのではないか。目に見えないもの、言葉にならないもの・・・

>それにしても、おもちゃが人間をあたためるなんて、なんて変わった思いつきなのでしょう。でも、よく考えてみれば、たしかにぬくもりをあたえてくれるのは、ストーブやヒーターだけとはかぎりません。・・・


おもちゃたちの行方を見守り、行くべき場所にまちがえずに行けたことを喜ぶ。まちがえるはずもない。おもちゃの形のなかに本当の姿をもっている彼らなら。
そうして、かつて、子どもといっしょにサンタクロースを待っていたころのことを思いだす。
サンタクロースにもってきてほしいものは、子どもに届けたいものはほんとうは何だったのか、と。


『サンタクロースの部屋 ―子どもと本をめぐって』(松岡享子 著)のこの言葉が心に浮かびます。
子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためだけでなく、サンタクロースが、子どもの心に働き掛けて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない。