夕べの雲

夕べの雲 (講談社文芸文庫)

夕べの雲 (講談社文芸文庫)


始まりは庭に木を植えることだった。
植えた木は育つ。大きく根を張り、空を仰いで枝を広げる。


山の家に引っ越してきたばかりの大浦一家五人。
物語は、この家族の日常を描く。何も特別なことがあるわけではない。
大浦は、庭に植える木について悩み、
夏の間、頻繁に堕ちてくるムカデに悩まされたり、
子どもの夏休みの宿題やテストに気をもむ。
家族そろって食べる夕食には、お気に入りの小ごちそうがあるし、
子どもたちはじゃれあうように喧嘩をしたり、森の中に「すみか」を作ったりする。
何でもない暮らしのあちこちに何でもない笑いがあり、そこはかとなくおかしい。
そうして、つらつらと静かに流れる家族の時間を愛おしいなあ、と思う。


大浦家の時代から、さらに時代も変わった、家族の時間の過ごし方も、ずいぶん変わった。
それでも、この本に感じる懐かしさは、
きっと、ごくごく普通の家庭の、それぞれがそれぞれによせる、よく知っている思いなのだ。
一日一日を堅実に積み重ねていく、ささやかな生活への敬意でもあります。


家族が一緒に暮らしている。
当たり前のことなんだけど、その当り前がいつのまにか見えなくなってしまうことがあります。
いらいらしたり、とげとげしたり、きりきり暮らしてしまった一日を情けなく思います。
大浦家の日々を読みながら、懐かしいと思うとともに、憧れるような気持ちにもなっていた。
それは大浦家が暮らす環境ではなくて、時代でもなくて、あるものをあるがままに受け入れる、心の余裕であり豊かさなのだ。


今、私が家族と過ごした日々を振りかえってみれば、
懐かしい思い出の場面は、特別なイベントなどではなくて、ごく普通のなんでもないひと時だったり。
「ただいま」と帰ってくる。「おかえり」と迎える。その声だったり。
ごく近くに感じる誰かがくつろぐ気配たったり。


正直いろいろあった。どこの家族にもいろいろある。
もちろん大浦家にだって、ここに書かれていないことがいろいろあるだろう。
それでも、それでも。それだからこそ。
普通に暮らしてこられたことをこそ、かけがえがない、と思う。