楽園のカンヴァス

楽園のカンヴァス

楽園のカンヴァス


夢を見た…
物語の中の言葉ではない。
この本を読み終えたときに感じたわたしの気持ち。
良い夢を見た。そして醒めた。


夢は冒険の夢であり、探検の夢である。
その探検がおわってみたとき、見出したものは当初考えていたものとはまるっきり別ものだった。
そして、このような冒険と探検の夢の舞台が、アンリ・ルソーの絵、というのは、なんとも相応しいような気がする。


遠近感のないうっそうとした密林は、何もない空間までも迷路に変えているようだ。
およそ現実感がないのに、存在感は怖ろしいほどにある。
生々しい命を感じる不思議な空間。
描かれているものは、寓意を持つ。
この絵の前に立ったら、きっと絵の奥に深く踏み込みたくなる。
入り込めば入り込むほどに、さらに意味深長な(でもきっとわたしなどの理解をはるかに超えた)何かに出会いそうな。
もしかしたら絵の奥で待っているのは、画家かもしれない。
穏やかに無邪気な様子で、そこに立っている。
無邪気さは魔力だ。


同時に…
物語を読みながら、(表紙の)印刷された写真で絵を見ていると、もどかしい気持ちにもなってくる。
絵の肌合い、どこにどのような重なりがあって、厚みがあって、どのような筆跡が残っているのか、知ることはできないのです。
表紙の絵はルソーの『夢』だけれど、写真から知る『物語』は実物が秘めている(であろう)『物語』を半分も伝えてはくれません。


この物語に出てくる人物(主人公の研究者二人を含めて)ほぼ全員が、何かしら言うに言えない秘密を持ち、
もちろんそれぞれの思惑がある。
大きな利害を賭けてこの集まりに接近しようと試みる、姿の見えない人物たちの陰謀も。
そして、当初想像していたことよりもさらに大がかりになり、さらに、謎は深まる。
不可解で厄介な話ではあるが、それでも、不思議なくらいに明るい清潔感を感じるのは、
主人公二人、ティムと織絵という若いルソー研究家の、絵に対するひたむきな思い、情熱のせいだろう。
ルソーについて熱く深く語り、読み説いていく二人の言葉のやりとりは、
静かで、神経を研ぎ澄ませた冒険であった。
専門知識についていけなくても、その情熱や愛は伝わってくる。何の濁りもなく。


絵は見るのではない。読むのだ――
真贋の判定…それは一体何ほどの意味があるだろうか。
問われるべきはひとつ。
――おまえはそれを愛するか。どれほどに愛するか。
そのものが抱え込んだ過去も秘め事もひっくるめて、そのまま、無心に愛するか。


ちらちら(というか、かなりはっきり?)覗く微笑ましくも淡やかなロマンスと、
すべては過ぎた日々である、という郷愁がまた、やわらかなベールのように物語を覆う。
独特の余韻が心地よい。
ここまでまっすぐに向かい合える世界を持った人々が羨ましいような気がする。
物語の始まりで聞いたパンドラの函が開く音を、物語の終りにもう一度聞いたような気がした。
いま、蓋はあいたばかり。きっとここから始まる新たな物語がある。