春を恨んだりはしない

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと


この本のタイトルは、シンボルスカの詩『眺めとの別れ』から採られたそうです。
春を恨んだりはしない。
・・・自然は人間に対して「無関心」だから。そうか、恨みようがないよね。


日本の国土は世界でも珍しい四枚のプレートの境界の真上にあるそうです。
こういう国土で暮らす我々は、自然と対立するよりも

「受け流して再び築くという姿勢を身に着けた」
のだそうだ。
わたしたちは攻撃しない。
わたしたちは執着しない。
ああ、意識しないで生きてきたけれど、他の国の人々を引き合いに出すと、そうなんだなあ、と思う。
この地で暮らす必然の知恵、本能に近いものだったのかもしれない。
それがよいとか悪いとかは別の問題で、でも、そうしなければ、ここで生きては来られなかったのかもしれない。


池澤夏樹さんの文章は静かです。
文章は、死から始まります。
人がいない被災地は、静かすぎて、静寂の音が聞こえるようだった。
そして、匂いが・・・音の代わりに届けられたように感じました。
3月11日の死。そして、それから累々と続く死。

 これらをすべて忘れないこと。
今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。
まず、死をまっすぐに見つめる。眠りではなく二度と蘇ることのない死を受け入れる。
そうだ、忘れてはいけない。始まりの場所のことを。


そうして、池澤夏樹さんの文章は、静かではあるけれど、徐々に色を帯びてくるような気がします。
池澤夏樹さん自身が動いています。
ボランティアの仕事は「与える」ことではなく、「補う」ことだ、と言います。
二つのガラス器を使った通底管(水位を一定に保とうとする自然の力)の喩えや、
ブッシュマンのエピソードはとてもわかりやすかった。


あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない
と、池澤夏樹さんは言われます。
わたしは被災地を知りません。
たくさん付箋を貼りながら、安全な場所で本を読み、パソコンに向かっている自分。
申し訳ない、と言うだけでは済まない思いがこみあげてきますが、どうしようもない。
こういうわたしが著者の言葉に頷いたとしても、受け取る意味は、微妙に違っているのだろうと思います。
そういうわたしだからこそ、わたしなりの「死」をしっかりと、意識し直す必要がある。


知らない、ということは恥ずかしいよりも怖いことだと思います。
怒涛のように押し寄せてくるたくさんの情報のなかで、流されまい、考えよう、と思いました。
自分の意志で流れを下っているつもりでいたけれど、ほんとうは流されている、と感じたことも何度もありました。
自分が乗っている流れは、どこから湧いてきてどこに向かっているのか、ちゃんと見極めているだろうか。ほんとうに?


例えば、原発
「安全」と必死にPRして推進された原発
福島の事故が起きた理由は、いや、それ以前に「あんなちゃちなもの」を造って平気で運転してきた理由は、

「安全という言葉を看板にしたからだ」
「安全は不断の努力によって一歩でも近づくべき目標、むしろ向かうべき方位であるのに」
安全と言う言葉が中身のない空っぽの言葉だった。
そして、中身のない言葉は、スローガンのように何度も繰り返されていた。
いつからだろう、それをおかしい、と感じなくなったのは。感じることをやめてしまったのは。
言った当人も、何度も繰り返すうちに、そのままその言葉を信じてしまったのかもしれません。
中身がない、ということを考えず、ただ「安全」と言う空虚な言葉を。


だけど、今、わたしの戸惑いは・・・
別の場面で、今度は別の方面から、空っぽの言葉をスローガンのように叫び、もりあがってしまっていないか、ということ。
その結果、当初感じていたのとはちょっと別の方向をいつのまにか向いて「こんなはずでは・・・」と思っていることもあるのではないか。
そうだとしたら・・・それはとても怖い。
動く前に、流れに乗る前に、その言葉はからっぽじゃないよね、この流れの源泉を知っているよね、ともう一度問いかける必要がある。
絶えず軌道に修正を加えながら、ゆっくり歩いていくのが私には合っている。


地震津波原発事故、たくさんの死、それから政治・・・
そうして、著者は、未来をも展望します。
これから先、私たちの世界は、私たちの生き方はどう変わっていくのか・・・
変わっていく・・・
池澤さんの考える未来は、静かに心に沁みてくる。
そのような未来が私たちの行く手にあるのはよいことじゃないだろうか、今よりずっと。
変わらずにまっすぐ突き進んでいく未来よりもずっと。
太宰治のあの女学生のことばを真似して、わたしも言いたい。ただ、「美しく生きたい」と。


もう一度池澤夏樹さんの言葉

あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない
2011年11月11日。意識して、今日この本を読んだわけではないけれど、あれからちょうど8カ月です。