アイルランド・ストーリーズ

アイルランド・ストーリーズアイルランド・ストーリーズ
ウィリアム・トレヴァー
栩木 伸明 訳
国書刊行会


アイルランドを舞台にした短編ばかりが12。
人々の心に深く根付く宗教と、宗教的倫理観。どの作品も、アイルランドらしい物語でした。
歴史など(例によって^^)きちんと理解できているとはいえないのですが、
閉そく感や、宗教と一体の暮らし、古風な(まっとうな)倫理観などに、アイルランドの空気を感じました。
ことに長く続いた紛争や宗教的な対立(訳者あとがきの中での解説に助けられました)の影響はとても大きくて・・・
そのなかで生きぬいてきた人々の持つ忍耐力や思いやりの深さなどが際立って感じられました。
毅然とした(清々くもある)頑固さと、寡黙さも。


どの作品もちっとも明るくありません。
安易に、そしてこじつけのように結末をねじまげたりはしない。派手な演出もしない。
むしろ地味。
確かにアイルランド紛争やイギリスとの対立(とあこがれも)、宗教の対立など、
政治的・宗教的な影響を無視しては成り立たない作品ばかりなのですが、書かれているのは人の心の微妙な翳りです。
そしてそれは、どこの国、いつの時代にも言えること。私たちの暮らしにも。
(たとえば、長年の連れ合いと今日別れるかもしれない、としたら、世の中の動きなんてどうでもよくなってしまうだろう)


・・・時に運命の手は残酷だよなあ、と思う。
思うけれど、そのまえに、主人公たちがすでに「残酷だよなあ」をとっくに乗り越えて受け入れていること、
ずっとこの先の人生の道づれとして抱え続けていくつもりでいるのだということに気がつく。
これはあきらめとは少し違うような気がします。
どうにもならないことを運命と知り、その運命を徐々に受け入れてとにかく生きていくことを決心する、というような・・・
その大きさはさまざまだけれど、こういう気持ちはどこかで経験したことがあるかもしれない・・・
それは苦しいけれど、二度と思いだしたくない、というのじゃなくて、共感を持って振り返れるような・・・
だから、沁みるように、これらの物語の一瞬一瞬が忘れられない「写真」として、心に残るのでしょう。
時がたつほどに鮮やかによみがえるのではないだろうか。
そして、人生の大半を占める散文的な風景のなかを再び歩いていく元気も生まれてきます。


印象的なのは
「女洋裁師の子供」 まるで糸を張り巡らして巣を整えて獲物を待っているような女が怖い。
だけど印象的なのはスペインからの観光客の一杯の酒のお礼(?)にちょっとした話をしてくれたらしい男のこと。
この人もまたアイルランド語り部ではなかったか。


「キャスリーンの牧草地」 12年、14年、という言葉に気が遠くなる。こもるのは息詰まるほどのけだるさ。
タイトルはなんという皮肉だろうか。


「トラモアへの新婚旅行」 新婚旅行の二人のそれぞれの秘密、それでいいのだ、という男の思いになんとも複雑な気持ち。
この二人の行く手がたとえ平安であったとしてもそれってなんなのだろう。


「哀悼」 どきどきしてはらはらして・・・ほっとしたけれど、永遠(とも思われるくらい)に続いている平板な道が待っているのか。
でも、その道をこつこつと誠実に歩き切ることもまた大変な冒険だと私は思うのだ。


「秋の日射し」 不安の正体をわかってしまってもなお行かせるしかない父親の姿はあまりにせつない。
「音楽」 そんな秘密が・・・。親切と思ったものの正体はあまりに残酷で喜劇的でさえあります。



人って見かけではわからない。思いがけない秘密を持っていたりする。
それは憎むべき過去であったりしたたかさであったり嘘であったりもします。
だけど、それでおしまいではない。どんな顔もその人のすべてを語ってはいないのでした。
そして、物語として語られながら、彼らの犯した罪はもう許されている、という気がする。
その思いが、明るくない風景を静かにしみじみと受け止めてなお余韻、と感じさせる由縁かもしれません。