ぼくを創るすべての要素のほんの一部

ぼくを創るすべての要素のほんの一部ぼくを創るすべての要素のほんの一部
スティーヴ・トルツ
宇丹喜代美 訳
ランダムハウス講談社


まずは、とにかく長いです。
時には、「ちっとも長さを感じません」と感想を書きたくなる本もありますが、この本は思いっきり長かったです。
それなのにおもしろい。


主人公は思いっきり嫌な奴です。親子二代。
父親の方はこんなに後ろ向きでシニカルな男っているだろうか、というくらいのどうしようもない奴。
そこそこ以上の教養と才能を持ち合わせていながら、向上心の「こ」の字も知らない。
第一自分を生かす方法も知らない、生きる目標も張り合いもない。
たまに発作的に大大的なプロジェクトを打つが、それはいったい何の意味があるのか。
・・・シュールではある。でも、確実に失敗する。
そのたびに関係者は巻き込まれ、被害をこうむる。
息子は、といえば、自分がこの父親のひな型のように思えて(実際そんな感じに見えるのだ)、父のようになってしまうことを恐れている。
ちっとも惹かれるところのない、鬱陶しい二人。
それなのに、いや、それだから新鮮で、逆に魅力的。


息子のジャスパーの語りによる父の一代記です。
そこに母や叔父や、その恋人、祖父母の(奇抜な、と言えばいいか、卓越した、といえばいいか)人生をからめて語る。
そして、自分自身の今日までの歩みを語る。


壮大で残酷な喜劇(ほんとにおかしいんだったら)なのか悲劇(こんなにみじめな人生ってあるだろうか)なのかわからない物語を語りながら、
語り手の息子は、ほんとうは何をしたかったのか。
・・・自分自身を見つけていた。ずっとずっと。
自分は何者なのか、どこからきたのか、どこへ行くのか・・・
自分を描き出すための、上下二弾組600余ページでした。(この本をまるまる一冊にして出す出版者様も奇特ではありませんか^^)
そして、見つかったのか。
うん。
これだけのページ数を費やして、なおこれが「ぼくを創るすべての要素のほんの一部」だということが。
私たち読者は、この本を読み、彼の「一部」のなかのもっと小さなほんの一部を知ったにすぎない、ということでしょうか。


後ろ向きでも前向きでも、横でもどこでもいい・・・このエネルギー。
とことんじたばたするエネルギーに、なんだか元気にならずにいられない。
彼らのことを特異、奇抜と思ってきた。強烈だと思ったし、ありえないと思った。だけど、ほんとだろうか。
もしかしたら、自分の姿をデフォルメした肖像と対峙していたのかもしれないじゃない。
さらに、その肖像もまた、私を作る全ての要素のほんのほんのほんの・・・一部。かもしれないじゃない。