FUTON

FUTON (講談社文庫)FUTON
中島京子
講談社文庫


「タイトル『FUTON』は、フトンとフラットに読んでもらってもいいけれども、フートンと頭にアクセントを置いて、『蒲団』と区別していただくといいかもしれない」
と作者があとがきで言うこの本は、田山花袋の『蒲団』をもとにして書かれた本である。
今まで読もうとも思わなかった花袋の『蒲団』を青空文庫で急いで読んで予習。
若い女弟子に報われないプラトニックな恋心を抱く主人公は、彼女が去ったあと彼女の蒲団にもぐりこんで泣く・・・
と、噂(?)通りの実も蓋もない物語と感じ、ほとんど思い入れもなく読み終えてしまいました。


日本文学(田山花袋研究)の教授デイブ・マッコーリーは、主人公竹中時雄の妻の視点からもうひとつの『蒲団』を書き上げることを試みます。
題して『蒲団の打ち直し』。これが、入れ子の作中作として、物語の中で少しずつ語られていきます。
竹中時雄にはわたしはなんの思い入れもないけれど、妻美穂となると・・・
『蒲団』では、地味に脇役としてほうっておかれた美穂ですが、そうです、美穂には思い入れありますよ。
大体この妻の献身や痛みをまるで歯牙にもかけず(良すぎておもしろくない、くらいの気持ちで)
完全に脇役として葬り去った作者田山花袋も主人公と同じくらい許しがたいではありませんか。
時雄の若い女弟子芳子とその恋人のあいだの体の関係を既成事実として認識している堅実な美穂と、
恋ゆえに現実に目をつむり「恋の精神性」にしがみつく時雄(ずるいです)の会話は、ばかばかしいくらいに成り立ちようもなくて、苛立ちます。
体の関係だけが恋でもないだろうけど、逆に体の関係があろうがなかろうが、裏切りは裏切りだろう。
折々の妻の気持ち、理解できるのです。
妻が夫に対して感じる苛立ちも、女弟子に感じる違った意味の苛立ちも、
苛立ちながらも表に出せず、半分は自分でも理解できない、認めたくない感情もあったり。
また、ピエロのように動き回る竹中時雄も女弟子芳子やその恋人の田中、美穂の姉など、それぞれにおもしろいのです。
実も蓋もないと感じた花袋の『蒲団』を打ち直せば、こんなにいろいろな綿埃が出てくるのか、
次は何が出てくるのか、とかなりおもしろく読みました。


いえ、むしろこの本まるごと、言うなれば『蒲団』の打ち直しなのです。
それも、打ち直されて一組の蒲団が三組の新品になっているのです。
まず、『蒲団の打ち直し』の物語があって、
デイブ・マッコーリーの元恋人への思いが現在進行形で描かれ、
老いていく95歳のウメキチじいさん(デイブの元恋人の曽祖父)の現在と過去の話が、これも少しずつ語られる、
総計三つの「蒲団」です。これらが絡まったり離れたりしながらゆったりと続きます。
どの男たちも女たちも、ちゃんと(?)『蒲団』を移す鏡なのですが、それぞれに雰囲気がちがいます。
舞台もそれぞれの性格も、背負っているものも。
ウメキチじいさん物語が特に心に残ります。
その人にだけ確かな真実の物語もあるのかもしれない・・・
男たちは、誰もが、実るはずのない切ない恋心を抱いて、いろいろ策略をめぐらす。
ずるいことはずるいけど、みんな、お人よしなのです。策略なんて駄々漏れしている。
そこが、「キュート」と言えば、ほんとにキュートな男たちで、憎めないのです。ほほえましい。
そして、それに比べて女たちの大人なこと。男たちの一歩枚上を行く彼女たちの話にはどれもはっとさせられます。
そして、三組の『蒲団』と思っていたそれは、結局全部一組の『蒲団』の物語だったなあ、と気がつくのです。
違う方向から眺めていただけで、同じ蒲団だったんだなあ、と。


気持ちよく笑って、でも決して軽くはないのです。
重すぎもしないのです。
少しウェットに沁みてくる物語もあるのです。
そっとしておきたい物語が。
また、何かを得て、あるいは何かを得るためのきっかけとして、清清しく、本の中から飛び去っていく物語もあります。
それらがみんな一緒の物語になって、ちりばめられた東京べらんめえ調さながらに、すっぱりと竹を割ったような読後感がいいです。
(サンドイッチチェーン店[ラブウェイ鶉町一号店」を経営する72歳のタツゾウさんが好きです。
不機嫌なガラガラ声で「らっしゃいやせ」「ハラペーニョはどういたしやす?」は実にほほえましいのでした。)