かはたれ

Kahatare
かはたれ 〜散在ガ池の河童猫〜
朽木祥
福音館書店


河童の子八寸は、61歳(人間なら6さい)のときに、親兄弟と別れ、ひとりぼっちになってしまった。
一方、人間の少女麻は、母と死に別れ、おとうさんと二人暮らし。

人間は、言葉の通じない人間以外の生きものの気持ちをどうやって察しているのだろう
という八寸の疑問。
一方、麻はおかあさんが亡くなってからずっと心のなかで問いかけ続けます。
目に見えないものや、耳に聞こえないものは本当ではないの?
見えているものや聞こえているものも本当でないことがあるとしたら・・・
このさびしい二人〈一人と一河童)の問いかけが、物語の道案内のようでした。
言葉を持たない二人の交流は、なんと静かで温かいことか。(どたばたした場面でさえも)
また、亡くなった麻のおかあさんが麻に教えた「すみれ色のノート」の使い方・・・目に見えるものと見えないもの、聞こえる音楽と聞こえない音楽」を書き留める、ということがとてもすてきでした。

耳に聞こえる音楽は美しい。でも耳に聞こえない音楽はもっと美しい。

美しい静かな文章・・・
音のない音楽、聞こえない声、目に見えない色・・・
こうした美しいものたちが、二人のさびしい心に、寄せては返し、を繰り返しながら、それぞれに、それぞれの問いの答えを見つけさせていきます。

不思議、とはなんなのでしょう。
異形のものにおどろく、とか、突然のできごとにはっとするとかよりも、
もっとさりげなく、誰かと何かを(たとえば、さびしさを、たとえば、美しいと感じる心を)共感できる、そのことのほうが不思議かもしれません。
見える不思議と見えない不思議。
二人のなかにずっと響き続ける聞こえない音楽の美しさ・・・それが自分の中に確かにあることを知った二人に、静かに感動していました。
わたしにも見えるかな、目に見えない色。
聞こえるかな、聞こえない音楽。