てのひらの中の宇宙

Tenohira
てのひらの中の宇宙
川端裕人
角川書店
★★★


母は入院中。
留守番の父(ぼく)と二人の子供(5歳のミライと2歳のアスカ)との生活。
彼らは、母は今はいないけれど、この小さな家族は四人いっしょなんだ、ということを痛いほどに感じながら生活しているのです。
父が子供たちと正面から向かい合っているのがいいです。(ちょっときれいすぎるようなところもあるけれどこの透明さはこの作家の魅力かな)

なんでも不思議で、なにもかもを自分の中に取り込もうとがむしゃらな5歳児ミライ〈「ハードボイルドな園児」と呼んでいる)の疑問を、この父は、はぐらかさない、ごまかさない。
真剣に考え、(理系おとうさんなので)物理学や生物学の用語など、難しい言葉もそのままに〈補足説明しながら)答えていきます。
人間は何処から来たのか、
死んだらどうなるのか、〈化石になるのか)
宇宙のなりたちについて、
宇宙が無限であること、無限とは何か、
ミライから投げかけられた質問に考えて答え、考えて答え、子供の言葉からさらに考えを深めつつ、家族とは何か、と突き詰めていく・・・

ミライは幼いながらも、いろいろなことをわかっています。
おかあさんのことも・・・家族のことも。
そして、父をはっとさせるほどきらりとした真実をまっすぐに口にする。
子供って大人以上にわかっていることがあるのかもしれない、と思うのです。
わたし自身も子育て中、こういう感動を味わったことは何度かあったんです。
子供が生真面目に、さらっと何気なく言った言葉に「おや、まてよ、そうだ、そういうことなんじゃないの?」と気づかされたこと。
子供とともに暮らしたことのある人なら、誰もが経験することではないでしょうか。(でも忘れてしまうんですよね)

父の語る童話〈巨大亀の物語)や、郷愁を誘う不思議な少年。これがとてもいい感じで、物語に厚みとなんともいえない情感を出してくれます。物語の縦糸の中にいい具合に縒り込まれている感じなのです。
とくにこの少年がねー。とてもとても良いのです。
最後のページのミライの言葉は不要だったと思います。「ずかんのおにいちゃんは・・・」ってやつ。いらないよー。途中からこの少年のこと、なんとなくわかってくるし、いい具合のなんとなく加減で、終わらせてほしかったなあ。

以前読んだ「川の名前」や「今ここにいるぼくらは」から、ずーっと続く川端裕人さんのテーマなのだと思うのですが、
少年と大人のつながり、過去と未来のつながり、遠いところと今いるところとのつながり・・・いや、たぶん、遠くへ行こうとすることと今ここにいることは同じことなんだ・・・そういうことがまたもうひとまわり広げて語られているようにも感じました。
今度は、
無限な宇宙が実は誰かのてのひらのうえに存在するものだというところに落ち着くのでしょうか。・・・と言ってしまえば実も蓋もないですね。
不在の母をひっくるめて、父と幼い子らの暮らしのなかで見出していくものは、ときに甘酸っぱかったり、苦かったり、せつなかったり・・・

小難しい理系用語などもぼんぼん出てきて、いくらハードボイルド園児〈笑)といっても5歳児がこれを語るか普通。と思うほど。
いや、親の影響ってすごい。こんなおとうさん、ちょっとうらやましいかも。
難しい理屈がすんなりとこちらにも(そして子供らにも)入ってくるのは、生活に密着した実際的な話だから。
ああー、もう、理系も文系もないわー、どちらもきわめればきっと目指すものはひとつ、精神的な世界、ということになるんじゃないかなあ・・・
そして、何よりも愛する家族。宇宙のなかの小さな小さな塊である家族への思いであることに、心動かされる。
彼ら父と子の思いの中には、つねに、入院中の妻〈母)がいるわけだから、いや、たぶん、彼女の存在があってこその話だから、なんだか祈りのように見えてきます。
家族って祈りみたい・・・宇宙のなかにきらめく小さな星みたい。

だけど、うふっ、何にもまして、小さなアスカの言葉がかわいくてたまらない。「ちゅーとろまい」「あんもない」ですもん。