『アイルランド民話の旅』   渡部洋子・岩倉千春 

アイルランドのたくさんの語り部たちから直接、語りを聞き、聞いたままに書き取った民話たち。
だから、ところどころ辻褄の合わないところがあったり、どう考えても言い間違いだろうと思うような言葉もまたそのままの生きた民話の旅でした。
お話は大きく分けて二つ。
妖精もの・・・人間に悪さをしたり良いことをしたり、ちょっとしたいたずらをしたりの妖精と人間のかかわりのわりとささやかなちょっと怖いお話。
それから、所謂昔話。英雄やら王子やら、百姓や漁師の三男坊(!)などが冒険の旅に出たり、魔女や悪魔、魔法や、不思議な国・・・今まで聴いたことのないお話もたくさん。
昔話がおもしろいのはなぜかしら。
長い長い年月、たくさんの語り部から語り部に伝えられながら磨かれていった物語。
魔法や不思議なことがあたりまえのように起こり、どこにでも冒険がある。それはファンタジーに近いわくわくなのだろうけど、こちらは、異世界が舞台ではない。先祖代々の暮らしが根底にある。わたしたち普通の人たちと縁続きの物語。かぎなれた土の匂いがすると言うか・・・。それだから、身近な感じが常にあるような気がするのではないかな。外国の物語であっても。

この本の一番最初に出てくるのが「お話を知らなかった男」というお話。一宿の恩義(?)に、炉辺で語るべきお話をひとつも知らなかったためにひどいめにあった男の話でした。
また、別の話「月の裏側に住む巨人」でも、旅人たちが、一人暮らしの老婆に今夜の宿りを請うたとき、彼女の返答は、
  >「夜を楽しく過ごすためになにかおもしろい話でも持ってきたかい。
   それともおまえたちは世界一のでくの棒かい」
だった。
遠い昔のアイルランドの人たちにとって「語る」ということがどんな意味をもっていたことか。それは日本でもそうだったんだろうけど。飲んだり食べたり、と同じくらいの重さだったのだろうか。長い寒い夜を過ごす人たちには。

おもしろかったのはケルトの英雄「ショーニーン」の話。不思議で波乱万丈で、類話を他に知らないので、新鮮であった。
新しい昔話は大歓迎。くだんの老婆のように「なにかおもしろい話でも持ってきたかい」とこの本を開いた私には、満足の物語でわくわくでした。
また「魔術師の達人偉大なかじ屋」がおもしろい。ちょっとプロイスラーの「クラバート」を彷彿とさせる場面などあって、興味深いものがありました。こちらは不気味さはあまりなく、むしろ痛快なのですが・・・

また、お話のあいだに挟みこまれたアイルランドの文化に関する囲み記事がおもしろかった。
今はほとんど話されなくなったアイルランド語の独特の文法。自分とモノとの関係を重視する「言葉」。人間が自然を支配していたのではなく自然界の一員として謙虚に暮らしていた時代の名残、という「言葉」・・・
以前読んだ「ケルト巡り」(河合隼雄)とも重複するところがありました。行ったことのないアイルランドに、日本古来の自然観に近いものを感じ、ますます憧れが募ります。