『最後の宝 』 ジャネット・S・アンダーソン 

宝さがし、というだけでドキドキします。
しかも、数代前のご先祖が隠した本物の宝物。場所もある程度限定されていて、まちがいなくそこにあることがわかっている。(どうしたって探してみたくなるじゃないですか。)
しかも、宝を探すことが自分の一族の歴史を探すことでもあり、つもり積もった積年の感情のもつれをほぐすことにもなる。探さないわけにはいかないのです。

一族の歴史の悲しい出来事。これがなぜ、宝探しと結びつくのか、また現在の,身内だからこその感情の行き違い。
目新しいことではない・・・というより、あまりにも普遍的で、現実問題、古今東西耳にするドロドロを、それぞれがみんな持っていて、傷ついています。
これらも宝さがしとどう結びつくのか。
先を読まずにいられないじゃないですか。宝探しをする二人の子供達についていきます。

それにしても、100年以上前に生きた人を親しくおじいさん、おばあさんと呼ぶ一族。
まるで、つい最近までそこにいて、一緒に暮らしたことがあるような親しみ。
自分のルーツを大切にして、その歴史を愛しているのだなあ、と感じます。
すごいけど、この感覚は遠いなあ。わたしにはないから。ルーツを知りたい、という興味はあっても、ご先祖さまを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶほどに親しみを感じない。
これがこの一族の絆の強さかな。100年以上も、10軒の家と広場を相続して、守ってこれたんだもの・・・

宝のありかはすぐにわかります。問題は、それを取り出す仕掛けです。どうやってこの仕掛けをみつけるのか。

宝はすばらしいものでした。よくわからないのだけど、一族の財政危機を救ってなお余りあるほどの価値。それから、一族の誇りになるもの。

だけど、本物の宝は、別のところにあったように思います。
この一族だからこその大切な宝物。目に見えない宝、というと精神的なもののほうにいってしまいそうですが、それだけではなくて・・・目に見えるものと見えないものが合体するような形の宝物。100年以上前に用意された宝物です。
いいなあ、と思ったのはその本物の宝のほうです。
わくわくしました。こういう宝探しもいいなあ。
「宝さがし」・・・夢、御伽話。まさにまさに、と頷くことしきりでした。
とてもおもしろかった。

・・・しかし、ジョン・マシューおじいさんって、すごい。一族の危機3回分を救う宝をあんなに大掛かりに用意する財力と、想像力、実行力に感服せずにはいられません。 それにくらべて、その子孫であるあの一族の集合体はちょっと怖い。あそこに住むのはごめんだな、と思う。
そして、財政危機のたびにご先祖の宝を当てにするのもなんだか情ない話じゃないか、と思ったりしています。