『つくも神』  伊藤遊

物を大事にしようという心から生まれたつくも神。過去と現代を結ぶつくも神。

主人公ほのかは、仲良し五人組の中で、なんとなく居心地が悪く、本当の友だちに出会えていません。
家庭では、中学生の兄雄一が思春期まっただなかでもがいているよう。母は、マンションのなかの人間関係、息子の心配などで、かなり疲れているようす。父はいつも帰りが遅い。
こういう現実のなかで、ほのかは暮らしています。
そんなほのかの前につくも神が現れる…違和感なく、ほのかや雄一の生活の中に入り込んできます。

大切に使ってきた道具たちにいつか魂が宿り、「なる」のだ、という考え方、好きです。
だから、すんなりと受け止められました。

「このおにいちゃん、かなりやばいよね。だけど、ほんとはいいやつなんだよ、だんだんわかってくるからね」
先に読了した小いちごが読書中のわたしに言いました。
確かに、つくも神との出会いによって、ほのかたち家族は少しずつ変わっていきます。 すっかり忘れていたけれど、自分たちがかって愛した道具たちが、魂を宿して戻ってきたとき、思い出だけが蘇ったのではなく、忘れていたみずみずしい心までも取り戻したような気がします。

皆さんの読書日記を拝見して、うーんすごい、と思いました。わたしは、お兄ちゃんがぐれた(?)理由も、最後のユッコとほのかとの関係も、すんなりそのまま、何も考えずに受け止めていました。
指摘されてみれば、なるほどーと思うんですけど。
おばあさんの家がその後どうなるのか、あの土蔵は?と、わたしも思いました。やっぱりいずれ終わりがあるのでしょうか?

それから、これは、大人の事情なんですけれど、マンションの建て替えのためおばあさんの土地を買収しようという盛り上がり、いくら古株の口やかましい人の意見であっても、住民、大の大人が、大挙して納得してしまうあたり、極端だなあと思うのですが…。複雑な現実の世の中から、あえて伝えたいことだけを取り出して、極端にデフォルメして見せてくれたのかなあ、と思いました。
臼の話がおもしろかった…というのは、人が悪いでしょうか。
実際問題、近所・学校のPTA・親戚のおつきあいなど、事情は違うけれど、似たようなことがあるような気がします。
これは、ほのかの交友関係にも言えます。しんどいよねえ。
だから最後に、ユッコにほのかが話すことができたのはよかった、とわたしは思いたいんです。(確かに唐突なのですが。)これまで、ほのかは、グループの女の子たちに対して、自分のほうから線を引き「わかりあえない」と最初からあきらめていたように思いました。その垣根を自分から取り払おうとしたことが、わたしはうれしいと思いました。これも「つくも神効果」かな、と思って。

読み終えて、改めて表紙をみれば、黄色いかさを抱えた“かえる”の絵が、なんとも愛しくて。

鳴らなくなった目覚まし時計、「もうちょっと使えばつくも神になるんじゃない?」と娘にいわれれば、そうそう捨てるわけにもいきません。
「ヒモ(娘が小さいとき抱いて寝ていた布切れのこと)も、つくも神になるのかなあ」とも言っていました。ぼろぼろのあの布切れ、どんな姿になるのか、ちょっとこわいけど、会ってみたいです。