あの庭の扉をあけたとき

あの庭の扉をあけたときあの庭の扉をあけたとき
佐野洋子
偕成社
★★★★


なんてかわいくない子ども。なんてかわいくないおばあさん。
強情で遠慮がないくせに、自分の中には誰も入れない。感じが悪い。
・・・でも、その感じの悪い心の扉をあけて、無遠慮に踏み込んでみれば、
彼女たちの真ん中になんとシャイでかわいい魂がちょこんと座っていることでしょう。


この子どもよう子ちゃんもおばあさんも、ひとりのように思えてきます。もちろんレースの少女も、ですけど。
お年寄りと子どものふれあいの物語、というのではなく、自分自身との出会い(再生)の物語。
違う世代を生きる自分自身の時間をいっぺんに持つ物語。

>わたしは七十になったけど、七十だけってわけじゃないんだね。生まれてから七十までの年を全部持っているんだよ。だから私は七歳のわたしも十二歳のわたしも持っているんだよ。
たとえば、「ぼけ」というものも、原因は様々、症状もさまざま。
だけど、「生まれてから今日までの時間を全部持っている」ということを実感できるなら・・・
他人にとっては単なる「ぼけばばあ」かもしれないけれど、本人は、若者の何倍もの豊かな時間を過ごしているかもしれない。


併録「金色の赤ちゃん」
この小さな物語の中のとも子ちゃんは少し変わった子です。でもどうしようもないのです。変わっているからいじめられる。「ノータリン」とか「バカ」とか「学校来るな」とか言われる。棒でつつかれて、草の葉っぱをかけられたりします。
でも、じっと縮こまったとも子ちゃんは何も言わない。何も言わない。
何も言わない子は何を考えているのかわからない。
・・・だけど、もしかしたら、こんな美しいイメージの世界を築きあげているかもしれない。
どんな意地の悪い言葉も残酷な仕打ちも、見えないとげも、まったく違うものに見えているのかもしれない。
ううん、変えてしまうのかもしれない。
これは魔法、才能。だろうか。
ただただ感嘆し、そのイメージを投射する人を宝箱のようにそーっと抱え込みたくなる。