『忘れ川をこえた子どもたち』  マリア・グリーペ

ガラス職人の夫婦は、二人の子どもとともに貧しいながらも幸せに暮らしていました。 ところが、ある日、二人の子どもがさらわれてしまいます。二人はきれいな馬車に乗せられて忘れ川の向こうの屋敷へ運ばれていきました。
忘れ川をこえたものは、越える前の記憶を一切なくしてしまうのだそうです・・・

なんともいえず、静かで、詩的で、しかも暗い暗い。エッダ(北欧伝説)がベースになっているというけれど、独特の神秘的なムードに閉ざされた物語です・・・
にもかかわらず、登場人物たちは、ごくふつう。彼らの愚かさもごく普通。
自分の仕事に夢中で家庭を顧みない夫(家庭に満足しているから)。そして、占い師に忠告されたことを真剣に受け止めながらも、時とともに危険を忘れてしまいます。
夫にもっと自分を見て欲しい、生活の疲れも手伝って、「子どもなんか…邪魔なだけ」と思わず口にしてしまう妻。
ただ人がいいだけの、単純な領主。
愛されていても、ほんとうの自分をみてもらえないつらさを紛らわすことのできない領主夫人。
こんな人たち、どこにでもいます。
二人の子どもは3~4歳。このふたりは、何がなんだかわからないうちにさらわれて、何もかも忘れてしまう。
二人はただ不幸だと感じるだけ。ささやかな抵抗をしても、不幸を自分たちの持って生まれた環境のひとつにすぎないと受け止めるだけ。
幸せと不幸。
ちょっとしたボタンのかけちがいで、みんな不幸を感じています。
なんのことはない、あっちにもこっちにもありそうな夫婦の気持ちのすれ違いです。
みんな自分たちの不幸を解消することに夢中で、巻き込まれてしまった子どもたちの気持ちをまともに受け止める人が誰もいないのがすごく暗くて、ぞっとします。
泣きたくなるくらい、子どもたちが無力でひ弱に描かれているのです。
これは子どもの本というよりも、大人のための読み物ではないでしょうか?

ラクサという魔法使いが出てきます。この人がとても魅力的です。
ラクサとナナの対決場面。
「戦いは荒野のおきてにしたがう。強い方が勝つのだ、善悪関係なしに」
静かな魔法使いの精神力の戦いであり、その決着はすぐにつきます。しかし、このぴんと引き締まった空気。北欧のファンタジーの深くて荒々しい力を感じます。
クローケというからす。なんと魅力的な脇役でしょう。よいものと未来を見る「昼の目」、わるいものと過去を見る「夜の目」をもっている。ものをきちんと見るためには両方の目が必要なのだそうです。このカラスとこの目が、さまざまな示唆的な役割を果たします。

「環はきちんととじ、すべてはもとどおりになったのだ。それ以上知る必要はないし、だれにもわかりはしない。」