泡立ち凍る北欧の海、そして、どこまでも続く雪原・・・物語から北欧の厳しい自然が広がって行く。
いえ、逆ですね。この厳しい自然のなかから生まれる物語・・・
冬物語、とは、凍てつくような冬の夜、炉を囲んで語られる物語の意味です。
お伽噺のようでもあり、民話のようでもあり、寓話のようでもあり・・・そして、不思議な折り目正しさがある。
少し古めかしい感じだけれど、物語に安心してついていける(たとえ悲劇が待っている時でも)この物語は信頼できる、と感じるのです。
どこでも聞いたことのない物語なのに、どこか懐かしいような気がするし、
好き、というよりも、こんな物語をわたしはずっと求めていたんじゃないかな、などと思ってしまいます。
なんだろう、この感じ。なんて表現したらいいんだろう、じれったいようなもったいないような。
そしたら、「あとがき」のなかに、こんな言葉。
>・・・ブリクセンの物語はどれも運命をめぐって繰り広げられるが、『冬物語』では「自分は自分であること」という考え方にそれがこめられている。(中略)物語に忠実であろうとする登場人物たちは、その過程でおのれの正体を知り、運命をまっとうすることになる。この言葉がすうっと胸に落ちた。
自分に忠実に生きる人への喝采であり、そうあろうと努める人への餞なのだ。だからたとえ傍目には悲劇に見えても決して悲劇ではないし、
潔くて清々しいのだ。
ほんの端役かと思っていた人の内側にある高貴な魂に触れて驚き喜び、
コミカルなものは、温かい気持ちで笑えるし、
旅立つ人には気持ち良く手を振ることもできる。
そして、人もうらやむほどの名声や財をなしたとしても、本来のあるべき姿から外れた生き方はこんなにも空虚なのだ。
清々しいまでにはっきりした主題が、寓話のようだ、と思うし、とっても良質の児童書の雰囲気にも似ている、と感じる。
だけど、物語を膨らませるのは、せつないような憧れや夢、そこにともなう小さなたくさんの絶望と、喜び。そして悲しみ。
ちりばめられたそれらに出会うたび、いちいち立ち止まりたくなる。
文章の一行一行を宝物みたいに拾い集めたくなる。
物語が終わってもなお、ふりかえってみれば、拾い集めたそういう小さな一行一行の輝きが、登場人物たちの品性となって、薫り立つようなのだもの。
『エロイーズ』は、モーパッサンの『脂肪の塊』をブリクセン流に翻訳してくれたような感じ。
そのため(?)他の物語に比べてやや理屈っぽいように感じました。
エロイーズの出現によって、長いこと忘れることのできなかった『脂肪の塊』の溜飲が下がるような気がした。
いつまでも忘れない『脂肪の塊』に比べれば、きっと『エロイーズ』はいずれ忘れてしまうのだろうなあ、と予想しています。
だけど、忘れても、好き。
どれも好きだけれど、とくに好きなのは『少年水夫の物語』『真珠』『ゆるぎない奴隷所有者』『嘆きの畑』。