小川は川へ、川は海へ

小川は川へ、川は海へ (Y.A.Books)

小川は川へ、川は海へ (Y.A.Books)


1801年、ジェファーソン大統領の命により、ルイス大尉とクラーク大尉は、
ミズーリ川とコロンビア川に沿って、セント・ルイス〜太平洋を往復する探検隊を組織した。
この探検に道案内(?)として、同道したのがショショーニ族の娘サカジャウィアでした。
生まれたばかりの息子を背負子に入れたまだ少女のようなサカジャウィアは、困難な旅を続ける。
途中でやめるチャンスは何度もあった。でも、彼女は、やめなかった。


旅路は危険が山ほどで、冒険、ロマンス、裏切り・・・大きな見せ場はたくさんありました。
でも、なんといってもサカジャウィアが魅力的なのです。
ずっと理不尽な苦しみに耐えるばかりだったサカジャウィア。
どう考えても幸福とは言えないだろう、と思うのに、
彼女の静かさ、強さはどこから来るのだろう。
ただ従うだけ、と書けば、よわよわしいイメージだけれど、そうではないのです。
それは、きっと、彼女が従っているのは、人間や人間の作った掟ではないからだ。
彼女の中に輝いている星だったのではないだろうか。


時代も時代。
人種差別や女性蔑視。
あとがきにも書かれていましたが、サカジャウィアも読者も、最後まで忘れられないのは黒人ベン・ヨークの言葉です。
「・・・もし白人の男がきみと結婚したら、そいつはスコーマンとよばれて軽蔑される。白人の女がぼくと結婚しても同じことさ」
旅の途上のロマンスは、美しいけれど、苦しい選択をせまるのです。


もう一つ、忘れられない言葉は、サカジャウィアの「わたしに学校へ行って、レディーになってほしいんですか?」という言葉。
彼女に、都会の学校で教育を受けたらどうかという提案がなされたとき、彼女は逆にこう尋ねました。
学校で習うであろうことは、読み書き、裁縫(テーブルクロスや枕を縫うこと)、ダンス。
サカジャウィアはどれもできません。できない、というより、彼女の人生や文化には必要のないものばかりなのです。
かわりに、彼女は鹿をつかまえることができるし、その皮を上手になめすし、上着モカシンも縫えます。
自分たちの文化や慣習が他の民族の文化や慣習より優れていると考えるのは傲慢にちがいないけど・・・
多数派(?)の中に身を置くと、気がつかなくなっていることがきっとたくさんある。


サカジャウィアは、めそめそしない。後ろを見ない。
毅然として凛々しい。美しい。
どのような道を歩くときでも。
駆け抜けていく彼女の姿は、突き抜けたように、誇り高い。
まっすぐ前をむいて、遠くをみつめて・・・彼女の中に輝く星が見えるようです。


サカジャウィアは、その後、どうしただろう。
きっと、これからだって、波乱万丈の日々が続いたのではないか、と思うのです。
たくさんのものを失って、辛い思いもしただろう、と想像するのです。
でも、彼女が死ぬ日は、おだやかな顔をしていたに違いない。
星のように輝いていたに違いない。
良く生ききったことに満足していたに違いない。
そういう女性なのだ、と納得して、さらに彼女に憧れるのです。