オルゴォル

オルゴォルオルゴォル
朱川湊人
講談社


都内在住の小学四年生のハヤトは、近所に住むトンダじいさんに「このオルゴールを鹿児島の友だちに届けてくれないか」と頼まれます。
今すぐではなくてもいい、大人になってからでもいい、という条件に安請け合い、交通費二万円をせしめます。最初からそんなおつかいなどどうでもよかった。二万円は、さっさと使ってしまった。


ハヤトの母は、人を「勝ち組」と「負け組」の二種類に分けて考えるひと。ハヤトの給食費も払う気がない、そんな人。
この母は、ハヤトのやったことをもし知ったら、どうするだろうか。自分の背中を子はいつのまにかちゃんと見ているのだ、ということに気が付いているだろうか。
「世界であんたのことを一番思ってるのは、私なんだからね」という母は、わが子にどんな生き方をしてもらいたいのだろう。二種類の人間のうちの「勝ち組」でさえあればそれでいいのだろうか。


ハヤトは「空気を読む」ことが得意。自分がどう考えるか、よりも、そして、正しいかどうか、よりも、まずその場の空気に合わせることで、うまくやってきた。
ある意味、上手に生きるための方便かもしれない。だけど、そこに実がなく、方便だけがあったら、虚しいだろう。
ハヤトは何も知らない。自分が何も知らないということさえ知りません。何も知らないまま、知らないものに対して、決めつけている。


そんなハヤトが旅に出ます。ハヤトの旅は知る旅でした。
自分が何も知らないのだ、ということを知る旅です。
様々な「人」に会い、様々な「もの」を見て聞いて、「人」にも「もの」にも、見えている形の奥に、大きな物語があり、歴史があること、計り知れない大きな世界が隠されているにちがいないことを知ることになるのです。
自分には見えていないけれど、ちゃんとあるのだ、ということを。
そういうことを知るためにこれからもっともっと大きな旅をしていこうと思うまでになるのです。これは、空気を読むこととはちがうね。自分の心の奥から出てきた希望だね。


見えている形が抱いているであろう世界に思いをこらすことができるようになったとき、たぶん、その世界は、その姿の一部を優しい形で示してくれるのかもしれません。
その人だけに聞こえる音楽になって。


いったいハヤトのおつかいはなんだったのだろう。トンダじいさんは誰だったのだろう。オルゴールってなんだったんだろう。いったい誰の手から誰の手に手渡す旅だったのだろう。
読み終えた今になってそんなことを考えています。この本の登場人物たちの書かれていない広くて深い物語を想像しています。
ハヤトはもちろん、ハヤトのであった人たちみんな・・・みんなの手に見えないオルゴールが渡されたのかもしれない。そんな気がします。