カラス笛を吹いた日

カラス笛を吹いた日カラス笛を吹いた日
ロイス・ローリー
バグラム・イバトゥーリン 絵
島武子 島玲子 訳
BL出版


新しい年が始まって、読む本が次から次、どれも当たり、というデラックスな初春です。


ぶかぶかの男もののシャツを着た華奢な少女が、カラス笛を吹く。
どこかから返事が聞こえる。笛と鳴き交わしながら、次第に集まってくるカラス達。少女の周りは烏でいっぱいになる。

>ほら! 父さん! 聞こえる? わたしを友達だと思っているのよ。・・・
少女を中心にして、舞い飛ぶ烏たちの姿に、読みながら、まるで、自分がたくさんの烏たちの真ん中に迎えられたような気がして、
くすぐったくて、うれしくて、うっとりと幸福にひたっていた。
息をのむような驚きと喜びの時。


だけど、本当は、彼女は、鉄砲を持った父さんとここへ、狩りににきたのだ。
畑の作物を食い荒らす烏をしとめるために。
彼女がカラス笛を吹いて烏たちを呼び集め、その烏たちを父さんが鉄砲で仕留める手筈だったのです。


戦争から帰ってきたばかりの父さん。
長い長いあいだ離れて暮らしていた父と娘は互いに情愛に結ばれながらも、とまどっている。
離れて暮らした空白の時間は、わだかまって、二人の間に近づきがたい壁を作ってしまったようなのです。
二人は互いに父娘の時間を取り戻したいと思っている。
空白の時間を埋めたいと思っている。その手段を探したいと思っている。
少女のほしかった男もののシャツ。朝食のチェリーパイ。「ぼく」という言葉に見かわす共犯者めいた瞳。「相棒」と呼ばれること。
ひとつひとつの微笑ましい場面は、だけど、微妙な空気を神経質なほどに読み、互いが努力してつくりあげていたのかもしれない。
失われた時を取り返そうという必死な努力だったかもしれません。


父が肩にかけた銃は「戦争」の象徴のようです。
家族を引き裂き、家族が共にいる時間を奪った戦争は、今も父娘が手をつなぐことを阻んで、父の肩の上に重そうに載っているのでした。
そんななか、空にむかって少女がカラス笛を吹く。
最初はおずおずと。やがて自信をもって。彼女が呼び、こたえてやってきたカラス達は、いったいなんだったのだろう。
「畑を荒らす」悪者ではなくて、無邪気に信頼しあう家族のように見えます。
長い留守のあと、やっと帰ってきた家族を迎える喜びの輪舞のようです。
気持ちが空高く飛翔していくような、今までのいきさつを忘れてしまうような、素晴らしい場面なのです。
烏の中の一羽になったかのような少女はただ無心。
子どもの無心さに、親は救われる。子どもの無心さは、越え難い壁を簡単に溶かしてしまう。喜びと感動のうちに。

>もしかしたら、大きくなった赤ちゃんんカラスだと思ってるよ!
父さんも、探しあぐねていた大きくなった赤ちゃん烏を見出したのかもしれません。


美しい絵でした。少女の表情がいいです。最初と最後では、少女とおとうさんのあいだの空気が変わったことも感じます。
そして、一番最後の写真・・・絵本のなかの少女が着ていたぶかぶかのシャツと同じシャツを着た少女の写真に、
そうだったのか、そうだったのか、と頷きながら、じっと見いってしまいました。