びんの悪魔

びんの悪魔 (世界傑作童話シリーズ)びんの悪魔 (世界傑作童話シリーズ)
R・L・スティーブンソン
よしだみどり 訳
福音館書店


地獄の炎で溶かして固めたびんは絶対割れない。中には小鬼が入っているといいます。
このびんの持ち主でいる間は、望みが何もかも叶うのです。
ただ「ほしい」といいさえすれば、手に入らないものはないのです。
ただし、もしも持ち主がびんを売る前に死ぬと、永遠に地獄の炎に焼かれることになる。
また、このびんは、必ず、買ったときより安い値段で売らなければならない、といいます。


途方もなく高い値から始まっても、人の手から手に渡る間にどんどん安くなっていくなら、
最後にはもうこれ以上安くなりようがない、という値段にまでなるに決まっているのです。
必ず最後に、売れずにこのびんを手にする人間が残るわけです。


いったいだれがこのびんを作ったのだろう。
このびんを作ったのが地獄の悪魔であるなら、すわって待っていれば、人間がひとり確実に手に入る方法ではありますが、
途方もなく長い時間がかかるわけで・・・人の魂には、それだけの価値があるのかもしれません。
いえ、そうじゃない。
このびんの持ち主となった瞬間、その人の魂はすでに悪魔のものになっているのかもしれないのです。
いずれびんを手放すことが出来たとしても、
欲望にかられて瓶の持ち主になった人は二度とびんに出会う前の人間にはもどれなくなってしまうのではないでしょうか。
心から幸せだと感じることができなくなってしまうかもしれません。


欲望というものの際限の無さ。怖さ。
最初から際限の無い欲望に囚われている人なんてそうはいないでしょう。
最初はほんとうに軽い気持ちでした。
自分のなかに欲があることさえも気がつかないくらい。
でもせっかく望みがかなうなら、と欲しいものを考える。
もともと欲などない者の願いですもの、かなり世俗的というか・・・
どんなに小さくても欲ずくで物を手に入れたなら、そこに満足はないのかもしれない。
その欲に見合っただけの不満しかもたらさないような気がします。
不満だから次の欲が生まれる、さらに不満になる、その欲はどんどん大きくなり、
やがて自分の生んだ欲に飲み込まれてしまうのかもしれません。
まるでブラックホールのよう。
この悪循環を断ち切るには・・・完全に無欲になるってのはどう?と思うけど、そんな完全に無欲な人間なんているかしら。


このびんは、一体何なのだろう。
このびんの中の「小鬼」とは、いったい何のことなんのだろう。
まるっこくて、首がすらりとしたびんの形は、なんとなく人間の姿に見えないこともないのです。
入れ物としての人間です。


主人公は、可も無く不可も無くありふれた人、というよりは、ほとんど特徴らしい特徴が書かれていなくて、
その分、どんな人にでも置き換えられそうな気がします。寓話的なのです。
このびんの代々の持ち主が、一様に望みどおりの素晴らしい暮らしをしているのにちっとも幸せじゃない、ということがわかっているのに、
繰り返し、びんを求めてしまうところに、業のようなものを感じてしまう。
このびんを手にした主人公たちの感情の激しい揺れ動きがたっぷり書かれているのに、びんはこそりとも音を立てず冷たく静まったまま。
この不気味さ。怖いです。


こうなったらいいなあ、という憧れの生活はあるけれど、自分の手に及ぶ範囲を超えた望みは、それなりの犠牲がついてきそう。
いろいろと窮屈で、さまざま悩みもあるけれど、まずまず笑っていられる今でよいのかもしれない。
それでもふと魔がさしたとき、目の前に、あのびんがふいに現れそうで、そうしたら、手を伸ばさないでいられるかどうか・・・怖いです。