六月のリレー

六月のリレー六月のリレー
伊沢由美子
偕成社


六月六日、体育祭。
クラス対抗リレーのメンバーは五人。
二年D組は男子三人女子二人。准、楷、ひろし、ユキ、葉。
走るのが得意なものもいれば、苦手なものもいる。
昨年のリレーで一位でゴールインしたはずが、選手妨害を理由に失格になって、
そして、今日。だけど、リベンジしよう、という気持ちがあるわけではない。
全員練習なんて一度もしなかった。全体的になんとなく醒めているようにも感じる。
だけど、それぞれが、やっぱり走らなければならない特別の理由があった。
それぞれにとって、それぞれだけが承知している理由。
この日、走ることが、それぞれにとって、どうしても必要である理由。


六月六日、体育祭。強風になった。
一体彼らはなぜ、そんな格好をしているのか、なぜそんな走り方をしたのか。
だけど、彼らは真剣だった。
彼らはそれぞれの思いを振り切るようにして、風を切っていく。
だれも、それぞれのその理由を知らない、知らないけど今バトンが渡っていく。手から手へ。ただひたすら、走りぬくことを考えて。
ただ、読者だけが知っている。そして、彼らをただ応援したい、と思う。


ここにくるまでに彼らの日々が、彼らのつぶやきが、私たち読者に小出しに告げられていきます。
学校の体育祭が舞台だけれど、子どもたちが抱えているのは、むしろ学校の外にある問題。
六月というのも微妙な感じです。春ではないし夏でもない。爽やかそうに見えて、不安定な天候。
彼らの抱えているものは、重たくて、そこまであなたが背負う必要は無いんだよ、といいたいときもある。
それからあなたのせいでもないんだよ、といいたくなる。やさしすぎるよ。
おまえけに、はみ出している。やりかたがまちがっているかもしれないよ。
そのやりかたは失格かもしれないよ、と。大人ぶって言いたくなる。
だけど、そんなことはきっと彼らには関係ないんだよね。
というより、推奨される解決法(?)は、きっとどれも受け入れられない理由がある。
14歳。14歳なりの懸命さ、ひたむきさがまぶしい。逃げ出さないし、投げ出さない。
彼らのまっすぐさは間違っていない。ううん、間違っているかどうかなんてどうでもいいことかもしれません。


体育祭の前もあとも、きっと状況は同じ。
だけど、きっと、このリレーは、彼らの決意表明なのだ。投げない、逃げない。背負っていく。ひとりで。
たった一つのバトンを五人が繋いで走ったこと、ああ、たぶん、ここでみんなは確認している。ここに同志がいること。
それぞれにそれぞれの場所で力いっぱい戦っている同志がいること。
それぞれが立ち向かっているものはたぶんほかのみんなには見えない。見えなくていいのです。
見えないけど、わかっているから。
だから手を合わせる。5つの手を。
手のぬくもりが伝わってくる。