勇気の季節

勇気の季節 (ハヤカワ・ノヴェルズ)勇気の季節 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
ロバート・B・パーカー
光野多恵子 訳
早川書房


アメリカの少年少女たちのハイスクールデイズは、どこかきゅんと胸にくるようななつかしさがありました。
生徒たちが集まるカフェや、街路、海岸・・・
他愛ない話、意味のない話、たばこ、どっとわく笑い声、いさかい・・・
そして、15歳の少年の少女に対する思いがほほえましい。初恋かな。
彼女のひとことひとことのニュアンスやその意味などを考えて一喜一憂するところなど、ほほえましくてなつかしいです。
お互いを大切に思う真摯でピュアな気持ちが。
語ることは他愛のないあれこれだったり、将来の夢、友だちのこと、自分のこと、好きなこと嫌いなこと。
話す内容より相手の表情やしぐさが気になったり・・・


会話が多い文章ですが、その会話のぽんぽんとはずむようなリズムが楽しくて、かっこいい。
小洒落ているのです。
いつまでも若い彼らの話を聞いていたいと思いました。(ときに親世代への批判はあまりに穿っていて、耳が痛い部分もあり、でした。)


登場人物それぞれと主人公との関係がどれも心に染みます。
ジョージとテリー、アビーとテリー、そしてジェイソンとテリー・・・
テリーの15歳の日々は、ボクシングと友情と恋とでできているようだ。
そこに突然割り込んでくるミステリ。
新聞に載っていたこと・みんながそうだと言っていることが、どうしても腑に落ちない、ほうっておけない・・・殺された少年のこと。
いますよ・・・
それほど仲がいいわけじゃない。それどころか相手のことはほとんど知らない。
だけど、あの部分、あの一角、すごく強くわかるし、惹かれる。
あるとき一瞬確かに深く心と心が結びついた、そんなことがあったかもしれない。
たぶん、住む世界が違うから、あの人とこの先もきっと遠いままかもしれないけれど、それでもあの人のことを買っている。
たぶん先方もそう思ってくれているのを知っている。
横目でそっと存在を確認して、元気なことを確かめる。そんな存在。わたしにも思い浮かぶ顔がある。


善悪が明解なミステリです。
悪役が絵に描いたような悪役(笑・・・「ポパイ」のブルートみたいな)ですので、
それだけでラストシーンの清清しさは約束されたも同然、と思っていました。痛快で爽快。
「エーミールと探偵たち」を彷彿とさせる仲間たちもいて、楽しかった。
ただし、現代の「エーミールと探偵たち」は携帯を持っています! 
事件は殺人事件から始まるし。


少年テリーにボクシングを教えるジョージが、すてきなのです。
ボクシングを通して生き方も教える。
「自分にとって最善の策を見つけるには、それなりの才覚がなくちゃならん。そして、それを追求し続けるためには、自分をコントロールすることができなきゃだめなんだ」
「あくまでプランに沿ってやっていくのがだいじなんだ。一番いけないのは…・・・かっとなってわれを忘れることだ……かっとなったときには、そのエネルギーを利用するんだ。気持ちをコントロールして正しい方向に導いてやる……自分をコントロールできなきゃならない…・・・」
テリーは、ことあるごとにジョージならどういうだろう、と思いながら、自分のとるべき道をさがしています。
こういう師にめぐりあえた若者は幸せですね。
うらやましい。


・・・だけど、最後まで忘れられなかったのは、そして、読み終えて思い出すのは、
「しばらく時間がたったら、最初ほどつらくなくなる」と、それを告げるためだけに来た少年のことです。
その言葉が今必要な言葉であることを知り、それを告げたいと思い、
大人たちばかりの改まった場に、勇気を出して出かけていく少年の思い・・・ただおとなしい目立たない子どもではなかった。
あまりにも悲しいのです。
「わたしにはもうあんたしかいないのよ」とすすり泣いていた母親は、どうしているのだろう。