『ブッチャーズ・クロッシング

 

ブッチャーズ・クロッシング

ブッチャーズ・クロッシング

 

 

1873年。このころは、バッファローの毛皮が高値で取引された時代で、バッファロー乱獲の時代だった。
このとき、アメリカの平原にいたバッファローの大半が消え去った。


ブッチャーズ・クロッシングというのは、カンザス州のバッファロー猟の拠点の(架空の)小さな町だ。
ここに、東部から裕福な家庭で育ったウィル・アンドリューズという青年がやってくる。自然の中で本当の自分を見出そうと夢見て、大学を退学して、はるばるここにやってきたのだ。
彼は、コロラドの谷にいるというバッファローの大群を目指す狩猟隊のメンバー四人のなかに加わる。出資者として。
想像をはるかに超える困難な旅で、都会育ちのぼんぼんは過酷な自然と思いがけないアクシデントの連続に散々振り回された。彼は、多くを失ったが、成長もする。


狩猟隊の頭はミラーという猟師で、長として信頼できる男だった。ほかのメンバーもそれぞれ凹凸のある性格ながら味があり、チームとしてまとまっていた。
思いがけない困難も、ミラーを中心に乗り越えてきた。足手まといの素人アンドリューズの成長は、このチームのおかげだと思う。
とはいえ、バッファローを狩る、という目的は、猟師のなかの何かを引き出したようだ。狂気のような、憑き物のようなものが、人の内側からにじみ出てきて、いつのまにか、人を取り込んでしまったように思えて、ぞっとした。
バッファローの屍が累々と横たわる平原は、地獄のようだ。夜通しもくもくと皮をはいでいく男たちは、地獄に蠢く鬼たちのようにも見える。


そして町。タイトルは、町の名前なのだ。町は人が作ったものだが、大きく見れば人そのもののようだ。
人が狂気に囚われるなら、町も狂気に囚われる。人が何かを失い、同時に成長するなら、町もまたそうなのだろう。
祭りのようなバッファロー狩りは、取り返しのつかない狂気の祭りのようだ。狂気から生まれた町は、狂気のなかに死んでいく可能性がある。


旅の間に青年の皮膚は厚く固くなり、彼はもうぼんぼんではなくなった。
だけど、成長とは何なのだろう。
「……そういうものがみんなの心の奥に潜んでいて、いつかとびだしてやろう、そして何もかも奪って引き裂いてやろうと待ち構えているのか。そのときが来れば、最後には(中略)虚無しか残らないのだろうか。」
成長する、ということは、徐々に(あるいは一気に)老いるということでもあるのだ、と思い至る。


それでも、「成長」というなら、それはなぜなのか。
彼が失ったもの、得たものは何だったのか。