『アウグストゥス』 ジョン・ウィリアムズ

 

アウグストゥス

アウグストゥス

 

 

初代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタウィウス)の生涯を描いた三部からなる小説であるが、この小説を構成しているのは、オクタウィウスを巡る大勢の人びとの声なのだ。
当事者たちが当時活発に交わした夥しい書簡や、後年に書かれた友人たちの回想録の連なりから、出来事のあらましが見えてくる。その向こうに、オクタウィウスという人物の姿が、ぼんやりと(でも、だんだんはっきりと)見えてくる。


第一部は、オクタウィウスの又伯父(養父)ユリウス・カエサル暗殺の報から始まる。後ろ楯もない18歳の若者が、三人の友と、カエサルの敵を追い、やがて混乱のローマを平定し、皇帝となるまでの物語。
戦記物語であり、ひとりの若者の成長の物語でもある。
人生を駆け上がっていくイメージで、勢いがある。


第二部では、闘いの時代が終わり、ローマは円熟期を迎える。文化の花が咲き乱れる。
ここでも多数の書簡や回想録で物語る。語られるのは、皇帝の家庭と、ローマの姿。
中心になるのが、オクタウィウスの一人娘ユリアの回想録だ。
「わたしの小さなローマ」と父に慈しまれて育った聡明で陽気な少女だったが、彼女の回想録は、罪人として流された流刑地でしたためられたものだ。
いったい何があったというのか。
最後に明かされた時には……。


第一部も第二部もそれぞれ、単独の小説として読めるのではないか。ことにわたしは第二部が、深く心に残る。皇帝の娘ユリアを始めとして、政権の道具となった女たちの物語だ。
ことに皇帝の最後の妻リウィアの、誰にも語らなかった心情をあれこれ詮索してしまう。


そして、第三部。老いて臨終を前にしたオクタウィウス自身によって書かれた長い手紙だ。
これまで遠目に見えていただけのオクタウィウスが、はじめてその肉声を聞かせる。


彼は、愛するローマに繁栄と平和と調和をもたらした。
偉大な皇帝としての名声は国の内外に広がる。
だけど、彼は今、こんなにも孤独だ。
友人たちも、心許せる身内もいない。
後継者にも恵まれなかった。
愛するローマもいまや慎ましい安楽に満足できず、混迷と腐敗の時代を懐かしんでいるように見える。
彼のローマと、「私の小さなローマ」と呼ばれた少女とが重なる。
愛したものが、次々に零れ落ちていくような最後のときに、手の上には何が残っていたのだろうか。


わたしは思い出している。
彼は愛した人だった。
彼は詩人を愛した。詩を愛した。
彼自身が詩人だった。彼の詩は世界だった。
彼は、どこまでも未完の詩を書き続けているのだ。
それは、大きな意味で、静かなよろこび、と言えるのではないか。と、この寂寥感のなかで、思う。