『ギレアド』 マリリン・ロビンソン

 

ギレアド

ギレアド

 

 

ジョン・エイムスは、年老いた牧師で、しばらく前から心臓を患っている。死を目前にして、「きみ」への手紙を綴り始める。毎日少しずつ。いつか遠い将来、「きみ」はこの長い手紙を手に取るだろう。
「きみ」は、ジョン・エイムスの愛息子で、まだ七歳だ。年の離れた妻「ママ」とのあいだに生まれた。


書かれているのは、人生の事。型破りな祖父から始まって三代が牧師だった。
信仰の事。ママとの出会い。何よりも「きみ」への愛。
「きみ」に伝えたいことを、ジョンは日々少しずつ綴っていく。
一言一言が平和で美しい。死を前にして、静かに満ち足りているようだ。


ところが、ここに、長いこと町を離れていた親友の息子、自分の名前をもつ(名付け子)ジャックが帰ってくることから、彼の手紙に苦味が混ざるようになる。
嘗てジャックは町を出奔したのだ。それまでにさんざんなことをして。それらはみんな、「よくあること」であったかもしれない。
ジャックを溺愛する家族たちは、すでに彼を許していた。
しかし、ジョンはそうではない。


ジャックは帰ってくると、牧師館や教会に出入りするようになり、ジョンの妻や息子を魅了し、急速に親しくなっていく。
ジョンの心は乱される。「きみ」への手紙の文章も乱れる。


ジョンの乱れた文章を読んでいると、なぜ、と思ったり、ほっとしたりする。
ほっとするのは、ジョンのこれまでの文章があまりに平和で美しすぎて、その美しさは、うまくいえないけれど「狭さ」に通じるように思えたから。それが、ジャックの出現によって、ぼろぼろと崩れ始めた。


ジョンの愛するママの一言「人は変われる。どんなことだって変えられる」に出会ったとき、あっと思った。
その過去を誰も知らないママとジャックとは、もしかしたら似たもの同士ではないか。
そして、もしかしたら、ほかならぬジョン自身も。
「家々の窓を覗き込み、人々の生活について思いをめぐらす」という言葉がでてきた。
彷徨い歩き、外から家々の窓を覗き込むしかなかった同士。
外から中へ。
たぶん、さまよってきた人々は(たとえそう見えないとしても)自分にとっての窓の内側を見つけたのだ。そういう思いが湧いてくる。静かに力強く。


読み終えた今、懐かしく思えるのは、それぞれの人びとのなんということもない営みの切れ切れだ。その奥にあるのが、苦々しいもの、心痛むものであったとしても。
スナップ写真を眺めるように振り返っている。
「幼児が水を手にすくい、母親の腕にひっかけて笑い声をあげた」
「ママが温めたリンゴ汁の鍋とカップをもってきて、黙ってぼくらといっしょに座った」
「夕方のキャッチボール。川から漂う香り。過ぎ去る電車の音」