『ファミリー・ライフ』 アキール・シャルマ

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)


一家がインドからアメリカに移住したとき、ぼくことアジェは、8歳。兄のビルジュは12歳だった。
ビルジュは秀才で、移住後、猛勉強して、たった一年半で、名門高校に合格する。
ビルジュは、両親の自慢の息子、一家の希望の星だ。
ビルジュの夢は外科医になること。前途は洋々と開けているように思えた。
事故はその夏に起こる。たった三分間の空白が災いして、ビルジュは脳を損傷して、寝たきり・・・というよりも目を覚まして呼吸をしているのに、意識が戻ることはなかった。


降ってわいたようなできごとだった。そのせいで、家族は文字通りどん底、生活は滅茶苦茶になってしまった。
もともと価値観も性格も違う両親だったけれど、いまや喧嘩ばかり。父は酒浸り、母は意地悪くなる。

「悲しいだと?」と父は怒って言った。「俺は毎日首を吊りたくなる」



物言えぬビルジュの存在は、家族の生活を一変させた。
でも、いつ崩壊してもおかしくないこの家族を、かえって強く結びつけたのも、物言えぬビルジュの存在だった。
彼を完全に失いたくない、いまは、ただ生きているだけの彼を生かし続けることだけが、家族の望み、祈りなのだ。
その一事で家族は結びついている。


子どもだった主人公アジェは、成長していく。
ときにユーモアさえ交えて描写される兄の存在は、弟にとって、ずーんと重たい。
存在そのものの湿っ気のある重さが、彼を押さえつける。
兄そのものの存在と、兄の存在のせいで変わっていく家族とが、彼を打ちのめし、若者なら当たり前のあれこれ(恋にも友情にも)に、手を伸ばすことを躊躇させる。
望むより先にあきらめさせている。


だけど、高校生のとき、彼は文学と出会う。
それが、どういうことなのか、最初はわからなかった。
あまりに静かで、あまりに恥じらい勝ちに現れたものだったから。
ただ、なにかが微妙に変わりつつある、と感じる。
それは、思いがけない助け手で、それ以上のものだ。
(なんとしたこと。読みながら私はわくわくしている。状況はひとつも変わっていないのに。)
それが為したこと、為しつつあることは、想像を越えていく。

窓の外はいつの間にか青い光に包まれていた。(中略)幸福感はあまりに激しく胸が伸び広げられていくかのようだった。