『新版 核兵器を禁止する――条約が世界を変える』 川崎哲

 

新版 核兵器を禁止する――条約が世界を変える (岩波ブックレット)

新版 核兵器を禁止する――条約が世界を変える (岩波ブックレット)

 

 

核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)」という運動の名前さえも最近まで知らなかった私が、この本を読み、勇気が湧いてくる、とけろりと言ってのけるのもどうかと思う。でも、正直にいって、それが一番おおきな感想なのだ、恥ずかしいけれど。


核兵器の禁止なんてできっこないとたえず揶揄されてきたが、しかし、やればできた」(2017年、核兵器禁止条約成立)
「同様に今度は、核兵器は禁止されたが廃絶なんてできっこないというヤジが聞こえてくる。しかし、やればできる。核兵器は廃絶できる」
と筆者は書く。
道の遠さや困難さは、きっと想定内なのだろう。これまでも、ヤジどころか、多くの妨害もあっただろうし、思わぬ事態に遭遇してきただろう。けれども、筆者をはじめ、地道に運動する人びとは、そうした困難のはるか高みをみつめている。そして、地道にこつこつと歩を進めている、そんな印象を受けた。
現実をしっかり見据え、高みを目指す確かな言葉に、自分のなかにある、あきらめや長いものに巻かれたがる気持ちが、恥ずかしさとともに、どんどん小さくなっていく。そして、何か明るいものが頭をもたげてくるのを感じる。


未熟な読者で、ほんとうは未消化なのだけれど、読後、心に残ったことや感じたことをメモしておきたい。


核の抑止力という言葉があるが、「抑止になっていない」理由を一つ一つ上げられれば、なるほど、と思う。抑止力なんて、核兵器を手放さないための方便でしかない。


核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です」とは、13歳で被爆したサーロー節子さんの言葉だ。


現実問題として、核兵器は「使いづらい」兵器になっているという。例えば、アメリカは第二次世界大戦後、何度も核兵器使用を検討したけれど、一度もボタンを押さなかった。


核兵器は廃絶すべきである、ということは、現在核を保有する国にとってさえも、あたりまえの考え方であったはずなのに、それらの国々は、核兵器禁止の機運が高まってくるとみるや、なぜか核兵器を守るために結束する。


なぜ?
核兵器保有は政治的にも経済的にも割が合わないというのに核兵器保有することにこだわるのか。


日本、核の傘下ということについて、
「そもそも、日米同盟関係において、核兵器は必要なのか。必要だというなら、いかなる時にか。はたしてアメリカが、日本を守るために核兵器を使用することがありうるのか。またそれは、被爆国の私たちが本当に望むことなのか、これらの問題を抜本的に議論する必要がある」


また、
「とりわけ核兵器禁止条約を批判する国々や論者たちは、ならば核兵器による非人道的な破滅を防ぐために何をするのかを説明する義務を負っている。」
という言葉は、核兵器廃絶に向けては「ステップ・バイ・ステップ」などという調子のよい言葉にも、「変なところに向かうバスに乗るわけにはいかない」などの本音にも、つきつけられる。


「人間の歴史のなかで、奴隷制の廃止であれ、女性の参政権であれ、人権を基礎に正義を求めるあらゆる運動は、社会に当たり前のこととして存在する矛盾について少数の人たちが『これはおかしい、許されない』と声を上げることから始まった」
と筆者は書く。
そう、その昔、奴隷制廃止も、女性が参政権を得ることも、「できっこない」夢だった。それらは、「社会に当たり前に存在する矛盾」だった。
でも、今はそうではない。


この本の最後は、サーロー節子さんの言葉でしめくくられている。被爆した直後、がれきの下で聞いた言葉だそうだ。
「諦めるな。踏ん張れ。光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」