『嘘の木』 フランシス・ハーディング

嘘の木

嘘の木


牧師であり、博物学者であるエラスムス・サンダリーが死んだ。
彼を有名にしたのは、人類の進化をめぐる「世紀の大発見」であるが、捏造の疑いをかけられて、彼ら一家は町には住めなくなる。
そこでヴェイン島へ逃げるように引っ越してきていたのだった。


島の人びとは、エラスムスは自殺したのだろうと疑う。
妻のマートルは、夫は事故死だと主張する。
けれども、彼の娘、14歳のフェイスは、父の死に不審なものを感じていた。 
これは殺人事件だ――けれども、14歳の女の子が何を言っても誰も聞いてはくれない。
敬愛する父だった。自分が女の子であるために、まるで取るに足らないもののように扱われていたが、いつか認められたい、きっと認めてくれる、そう思いながら仰ぎ見てきた父だったのだ。
だれが父を殺したのだろう。彼女は、父の死の真相を暴こうとする。


フェイスは、父の残した手紙や日記を読み解き、生前の父が隠した鉢植えが「嘘の木」であることを知る。
木は人間の嘘によって成長するという。その嘘が世間に広がることによって木は育ち、実を結ぶ。
その実を食した者は、心の奥深くに抱えている問題について、極秘の知識を得られるのだという。


女の子のフェイスには自由はなかった。
外を歩きまわることも、誰にせよ、ひとに物を尋ねてまわることもできなかった。
だから、彼女は「嘘の木」とタッグを組んだ。
フェイスの嘘は、彼女から離れて、一人で島を駆け回り、彼女のために、あちこちで罠を仕掛けてくる。
しかし、どうだろう。もしかしたら、彼女が放った嘘は、思いもよらないものをもたらしていたのかもしれない。


この物語がファンタジーである、といわれると、そうだっただろうか、と驚く。
ミステリである、といわれても、それだけじゃなかった、と思う。
少女が真相に一歩一歩近づいていくことで見えてくるのは、事件の真相以上のものだ。
フェイスが世話をする蛇が脱皮をする場面が出てくるが、事件の探究は、少女にも、脱皮をさせる。


19世紀。
男からみた女、主人からみた使用人は、まともな人間としては扱われなかった。
おとなしくして、機嫌よくしていれば、丁寧に扱われてはいた。しかし、その丁寧さは、自分よりも足りないものとしての侮蔑でもあった。
少しでも頭を上げようとすれば、容赦なく踏みつぶされた。
四方を壁に囲まれて、それでも枝を伸ばそうともがく不気味な植物のイメージは、そのまま人々の姿にも重なる。


陰鬱な物語だ、という印象が変わるのは、踏みつけられた人たちが、自分を踏みつけようとする足のすきまから、なんとか顔をだそうとする逞しさに出会ったときだ。
それぞれがそれぞれの器量を量りながら。それぞれのやり方で。素知らぬ顔をして。
死を思わせる闇の世界が、青空と陽光の世界に繋がっている不思議。
ああ、人の印象ってなんて頼りないものなのだろう。思いこみって、なんて危ないものなのだろう。
「綱渡りをしながらも果敢にわが道をいく」人たちが、危険な綱渡りをしないで済むように、だれもが自由に夢を語り、夢に向かって精一杯努力できる未来がやがてくる。
最後の一行に私は声をあげて笑いたくなる。ちょっと苦手だな、と思っていたあの人の印象が読めば読むほど変わってくるが、ここ。最高だと思えた瞬間。