『アメリカーナ』 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

アメリカーナ

アメリカーナ


イフェメルがナイジェリアからアメリカに渡って13年。
何度か、激しい恋をしたが、嘗ての恋人オビンゼのことを、本当はずっと忘れたことはなかった。
イフェメルは、今、ナイジェリアに帰ろうとしている。ナイジェリアにはオビンゼもいる・・・


おとぎ話のようなラブストーリーだ。
それもいいと思うのだけれど、このおとぎ話は、一筋縄ではいかない。足元から、たくさんのリアルが芽をふき、雑草のように勢いよく伸びてくる。
その勢いに飲まれて、おとぎ話は色あせてしまう。


たとえば、「人種」についてーーとりわけ、アメリカで「黒人」でいることについて書かれている言葉がびんびん響いた。
イフェメルの故国ナイジェリアでは気にしたこともなかった「人種」を、アメリカは問題にする。人種を細分化しているようでいて、「黒人」については、十把一絡げに「黒人」に分類してしまう。
この国で黒人でいることのリアルをこれでもかというくらいの容赦なさで伝える。

…かりに両者がドラッグ所持で逮捕されたとする。そのとき白人の男は治療を受けるために病院に送られる可能性が高いけれど、黒人の男は刑務所行きになる可能性が高い
けれども、もっと容赦ないと思うのは、非黒人であるあなたには、アメリカで黒人である事がどういうことなのか、決してわからない、と突き放されることだ。
共感したような、寄り添ったようなつもりでいることの、軽さ、適当さ、無責任さを思い知らされるようでドキッとする。
…ケルシーにはリベラルなアメリカ人のナショナリズムが嗅ぎ取れた。自分ではアメリカについて仰々しく批判するくせに人から批判されるのは嫌がるのだ。


わたしは、アメリカでのイフェメルがナチュラルなままの自分の髪を大好きだと感じる瞬間の描写が好きだ。

彼女は鏡をのぞき込み、自分の密生した弾力のあるみごとな髪に深く指を差し込んだとき、もう他の髪型など想像できないと思った。なんのことはない、イフェメルは自分の髪が大好きになっていたのだ。
イフェメルの恋の遍歴にはちゃんと乗れなかったわたしだけれど、こういう「大好き」は、いいなあ、と思う。
彼女の髪の先が、ナイジェリアの大地に繋がっているような気がして。


ナイジェリア、イフェメルの祖国。
じぶんにとって祖国とは何なのだろう。
外に出て、はっきり見えてくることもあるのかもしれない。
(イギリス人女性と結婚し、イギリス風の暮らし方を気どり、自らを当たり前のような顔で「イギリス人」と称するエメニケへの嫌悪感は、この対局にあるような気がする。
コミカルに描かれる外国帰りたちの外国かぶれな言動とも一線を引く)
イフェメルの窓から見える廃屋になった豪邸と、その屋根の上に止まった孔雀が、きっと彼女が思う祖国の姿だ。
孔雀、なんて誇らかにみえるだろう。