『アラバマ物語』 ハーパー・リー

アラバマ物語

アラバマ物語


少女スカウトは、彼女の兄ジェムが腕の骨を折ることになった一件について語る。
それは、数年前の夏から語り起こされる。


1930年代のアメリカ南部の町メイコーム。
ある暴行事件が発生し、黒人であるトム・ロビンスンが容疑者の嫌疑をかけられ逮捕される。
心ある人たちから見たら、トムが犯人でないことは自明のことだったが。
そして、目撃者&被害者の父が、いかに信用できない人間であるかということも自明のことだったが。
黒人に、白人を暴行したという嫌疑がかけられた、という時点で、その嫌疑を覆そうとすることは、とんでもない大罪であるように考えるのが、この町の人々の「良識」だった。
白人でありながら黒人の弁護をする弁護士を、町の多くの人々は、非常識な恥知らず、と考える。


ジェムとスカウトの父アティカスは弁護士で、トムの弁護を引き受けることになる。
アティカスの二人の子どもたちは、狭い町の中で、否応なく巻き込まれ、翻弄される。
その渦中で、スカウトは、今まで疑うこともなかった善良さについて、考え始める。


ある人は自分の正義が間違っているとは思っていない。それは差別だ、と指摘されたとしてもその意味さえわからないだろう。
ナチのユダヤ人迫害を、許せない、と憤る人であっても、わが町の白人と黒人の関係は別物なのだ。
そうした一人ひとりが、集団となる。
その流れの激しさに呑まれずにいることはなんと怖ろしく、なんと孤独なのだろう。


アティカスは有能な弁護士である。法廷で、誰も反論しようのない鮮やかな方法で、トムの無実を実証する。
12人の陪審員は、その後で、重い重い判決を下さなければならない。トムは有罪か無罪か――


この本の原題は"TO KILL A MOCKINGBIRD"
スカウトとジェムの兄弟がクリスマスに空気銃をもらったときに、父はいう。
「だけど、おぼえておくんだよ、モッキングバード(ものまねどり)を殺すのは罪だということをね」
近所に住むモーディおばさんは、スカウトにその意味を話してくれる。
「モッキングバードってのはね、私たちを楽しませようと、音楽をきかせてくれるほかには、なんにもしない。野菜畑を荒らすこともしなければ、とうもろこしの納屋に巣をかけることもしない。ただもうセイかぎり、コンかぎり歌ってくれるだけの鳥だからね」
この話は、トム・ロビンソン事件について語られているのだ、と私は思っていた。
でも、そのあとも物語は続くのだ。
そうして、ジェムの腕の骨は折れたのか、とやっと知るわけだけれど・・・


法、って何だろう、と思う。
トム・ロビンソンのこと、そのあとのこと。
法を守る、ということについて。守らない、ということについて。
わかったような、わからないような、やっぱりわからない・・・
ただ・・・
大きな流れが見える。どうっと流れていく川が見える。
その流れの合間に、小さな美しいものが川底にきらりと光って、また見えなくなっていく。
それはいったいなんなのだろう。法よりも、もっと底にあるものなのだ。
その小さいものを損なわないように、見失わないようにしなければ、きっと法も意味がないのではないか。


最後に、美しい言葉が心に残る。「そっとしておく」ということ。
家にひきこもり、何年も何年も鎧戸の向こうに隠れた人のことを、家族以外の周囲の人たちみんなが知っていた。
知って、その「ひきこもり」を黙って守っていた。隠れていたい人が隠れていたいだけそのままでいられるように、そっとしていた。
その「そっと」がとても好きだ。ここにモッキングバードがいた。