『風の靴』 朽木祥 (講談社文庫版)

風の靴 (講談社文庫)

風の靴 (講談社文庫)

IN★POCKET 2016年 7月号

IN★POCKET 2016年 7月号


大好きな本『風の靴』が文庫になった。
カバーの挿画はハードカバーと一緒なのに、こちらはタイトルのロゴが白抜きで、それだけでふわっと軽くなったような気がする。持ち重りのしない感じがいい。文庫だもの、バッグに入れてどこにでも連れていけそうなのが嬉しい。
大好きな神宮輝夫さんの「解説」もそのまま読めるのはとてもうれしいけれど、作者による「あとがきにかえて」がなくなってしまったのは、残念。
でも、「IN・POCKET」7月号に「もうひとつのあとがき」として、『きらめくような夏の日』というエッセイが載っている。(これこそ、持ち重りがしない雑誌なので『風の靴』と仲良く並べて大切にしよう)
「そんなとき、心の内に大切にしまった時間が、少年を――私たちを支えることがあるのではないかと思う」とのエッセイの一文から、たちまち『風の靴』のよい風が蘇ってきた。思わず胸いっぱいに吸い込みたくなる風。波に揺れる日の光。きらきらきらきら・・・


『風の靴』は、たくさんの重たいものを抱えた少年が、どうしようもなくて、海に逃げ出したことが物語のそもそもの始まりだった。友人と愛犬と一緒に。
それが、この物語が「ずうーっと終わらなければいいのに」と願うほどのきらめきと余韻とを残して終わるのだ。
なぜ、いつ、変わったのだろう・・・一気に何かがふっきれたわけではない。少しずつ少しずつ、ここ、ここ、ここ・・・小さなきっかけが物語の中、あちこちにある。
中でも忘れられない「オデュッセウスの敗因」に、ああ、と胸が熱くなるのだ。


忘れられない大切な時間を思い浮かべれば、思い出をちゃんと見まわせば、そこにはいつだって良い仲間がいた。
すぐそばにいる気の置けない友達ちであったり、たまたま同じふねに乗り合わせた仲間であったり・・・そして、もはや二度と会うことのない大切な人の記憶であったりもするのだ。
良い仲間は、そばにいなくなっても、ずっと仲間でいてくれるのだな、と胸に熱いものがこみあげてくる。


海を渡って行く小瓶のことを考えるのも好きだ。身一つで、大切な「言葉」を身内に抱えて、どこまでも遠く進んでいくのだ、と考えるのが好きだ。
この本を読むたびに、本の中のきらめきを浴び、経験したこともないその時間を共有した気持ちになる。わたしのなかのきらめきにになる。わたしのなかの大切な時間になる。