『走れ、風のように』 マイケル・モーパーゴ

走れ、風のように

走れ、風のように


グレイハウンドは、チーターとブロングホーンアンテロープに次いで、世界で三番目に速く走る動物なのだそうだ。
性格は穏やかで、人には、愛情と信頼とを惜しみなく注いでくれる存在なのだという。
この本のなかには、グレイハウンドが走る場面が沢山出てくる。
その描写から、走る姿が傍目にどんなに美しいか、そして、犬自身が走ることをどんなに楽しんでいるか、伝わってくる。


この物語の主人公はグレイハウンドだ。
この子は、子犬のときに兄弟たちといっしょにビニール袋に詰め込まれ、川を流れているところを救われたのだ。
その後、約五年間に次々に三人の飼い主の手に渡り、その都度、名前も生活もがらりと変わる。


この犬の運命はひどいものだ。川に捨てられたり、攫われたり、仲間を殺され、自分もまた殺されそうになり、やっと出会った信頼できる人間や仲間犬とも無理やり引き離されたり・・・
その都度、与えられた場所で全力で生き、主人に忠実であろうとする犬の健気さ。
彼の気だてのよさは、人を呼ぶのかもしれない。
出会いに恵まれた、と思う。犬、人双方にとって。


犬と出会うことで、人に何かが起こる。
もともと、きっといつかは一人で乗り越えることのできた山だったかもしれないのだけれど、そして、それだけの力を持った人間たちであったかもしれないのだけれど、
それでも、いま、それができたこと、力を尽くし、なんとか乗り越えることができたことは、すぐ真横に明るい瞳でまっすぐに自分を見上げる相棒の存在があったことがものすごく大きい。
動物が、人に与えてくれる大きな力の、なんとはかり知れないことだろう。


助け合う人と犬が進む道の傍らでは、人間社会のさまざまな歪んだ面が描かれる。
人間の都合に合わせて動物は利用され、利用価値がなくなったとき、どのような扱いを受けるか。
そもそも、人の社会で、犬にはなんの権限も与えられてはいないのだ(ただ生まれ、生きる自由さえも)、ということを否応なく認めざるを得ない情けなさ。
そして、人間たちのあいだでは、力弱いものたちが権力によって蹂躙されようとしている現実は、どこの国、どこの町でも似たようなことが起こっているのだな、と暗澹とする。
一方で、力はないけれど心ある人たちが立ち上がる姿に励まされる思いである。彼らの胸にあるのは、たとえば希望や愛情のようなもの、何か明るくて温かいものだ。


・・・納得できない別れ方をしたあの子のことが、読んでいるあいだ、ずっと気になっていた。今頃どうしているだろう、と。自分の身に置き換えたら、あまりに辛くて。
そのことを忘れずにいてくれた(?)この物語に、ありがとう。
しかし、このラストにはきっと、さらに後日の物語があるはずだ、と思っている。
彼がいつか、ふと振り返って「もしかしたら、あれは。あのときのあれは。」と思うかもしれない。きっときっと。そうだったらいいな、と思う。


ベストメイト、ブライトアイズ、パディワック。
この犬を愛した三人の人がつけた名前。どんなに愛おしげにその名を呼んだことか。犬は、どんなに明るい目をしてその呼び声にこたえたことか。
犬も、人たちも、元気でいてほしい。のびのびと楽し気に走る犬と、それを見守る人と。