『ヴォルテール、ただいま参上!』 ハンス=ヨアヒム・シェートリヒ

ヴォルテール、ただいま参上! (新潮クレスト・ブックス)

ヴォルテール、ただいま参上! (新潮クレスト・ブックス)


>十八世紀のプロイセン国王フリードリヒ二世(フリードリヒ大王とも呼ばれ、ドイツでは最も親しまれている専制君主)と、フランスの百科全書派の一人で啓蒙思想家のヴォルテールが主人公になっている。二人とも、日本の世界史の教科書に必ず名前が出てくる「超有名人」
と、訳者あとがきにある。
超有名人。えーっと・・・
遠い過去にお世話になった世界史の資料集に出ていた沢山の肖像のうちのどれか。そして、夥しい落書きに泣いた肖像画に違いない・・・
と、そんなことをつらつら思っている、本当に情けない読者であるが、それでも、この本はおもしろかった。


小説ではない。書かれているのは史実ばかり。
(一筋縄ではいかない)二人の偉人の関わりに絞った「世界史こぼれ話」みたいな感じだ。
特定の話題(?)に絞って順に並べてみれば、取りすました肖像画に(手の込んだ落書きなんかしなくても)ぐっと親しみが湧いてくる。
「偉人」の「偉人」らしいところはすっぽり無視して、極めて小人間的な素顔(スケベな顔、小狡い顔、がめつい顔など)を浮かび上がらせる。
手のひらの上でぴょこぴょこ跳ね回るのを眺めているような楽しさ。ちまちました動きがかわいく思えてくる。


身分の違う相手だからこそ、「言いたいこと」を二重にも三重にもオブラートにくるみ、本音を相手に伝えようとする綱渡り的キャッチボールにどきどきする。
大切な友、と一方が呼べば、わたしは陛下を愛しております、と一方が答える。
しかし、その陰で、
プロイセン国王は自分が文化的な人間だと信じているが、耽美主義者の薄い外皮の下には大量殺人者の魂が眠っている」とこっそり。
そしてまた他方は、
「(自分にとってあいつは)オレンジをぎゅうぎゅうに絞って、皮を捨てるようなものだ」とこっそり。
言葉とは裏腹に(?)相手を見下している本音と山より高い自尊心があけすけに見えてしまうことに(そんな書簡や事件ばかりが取り上げられているから)くすりと笑う。
そして、ともに、嵐のような激しさに、はらはらする。


惹きつけられたのは、18世紀の稀有な思想家でもなくプロイセンの王でもなく、ヴォルテールの愛人であったエミリー(シャトレ侯爵夫人)の豊かな才能。
彼女は特別・・・と思いながら、18世紀である。ルイ15世の時代である。女性にこれだけ自由な学びと活躍の機会が与えられ、かつ認められていたことに驚く。(認めざるを得ない、エミリーの非凡さだった。)


訳者あとがきまでもおもしろかった。
本文に書かれたことの裏やその後、書かれていないてい別のエピソードなどを交えつつの解説は、そのままエピローグのようだ。


とはいえ、今後、ヴォルテールという名前から、この本「だけ」をぱっと思いだすような具合になったらやはりまずいのではないかしら(これしか知らない)とちらっと思う。
せめて『カンディード』をちゃんと読んでおこうと心に決めた。