『ソングライン』 ブルース・チャトウィン

ソングライン (series on the move)

ソングライン (series on the move)


>オーストラリア全土に迷路のように延びる、目に見えない道筋“ソングライン”。それはドリームタイムと呼ばれる神話の時代に、この大陸を旅したアボリジニの先祖がたどった足跡である。先祖たちは、その道々で出くわしたあらゆるものの名前を歌いながら、それらすべてに命を与え、世界を創造していった。この独特の世界観は、先祖の物語を表す歌とともに受け継がれ、いまもアボリジニの精神生活の基軸をなしている。(「訳者あとがき」より)
このような説明を受けても、わたしには、全く理解できなかったが・・・
ソングラインというものも、アボリジニの文化も。歌いながら旅し、名づける、ということの意味、アボリジニにとっての領土の意味・・・
とりあえず、理解しなければ先に進めない、という考え方を捨てる。


著者は、オーストラリアの「先住民居住地」を奥へ奥へと旅をする。
実際、地理的な旅でもあるはずだけれど、地理にうとい私にはそれがどれほどの移動であったかわからない。
それでも私、この本を読みながら、とても遠いところを旅したのだ。実際の距離ではない。人から人へ。物語から物語へ。風景から風景へ。
わたしはやっぱりソングラインというものの概念は、わからない。理屈ではお手上げだ。でも、もともと理屈で理解できるものではないのではないか、と思っている。
著者は、理詰めで語りかけたりはしなかった。
たとえば光や風がどのようなものか言葉で説明できなくても、感じることができるように。
漠然としているのだけれど、わたしはこの長い長い旅の間に出会った人びとの物語すべての中に生きている何かに触ったような気がするのだ。


居住地のアボリジニたちは貧しかった。のんだくれていた。
ほとんどの白人たち(例外ももちろんいる)は自分たちの価値観とはまるっきり別の尺度を持つ文化をまったく理解できなかったししようとしなかった。
実際、彼らはだらしなくみえる、生活はすさんでいる。
だけれど、驚く。彼らのどんなに小さな一人のなかにも、先祖から伝えられた『歌』があり、『旅』があり、『名前』があり、それは彼らの中に、ずっと変わることなく息づいていた。
どこでどのような暮らしをしていても、彼らのなかに「それ」が宝物のように輝き、君臨しているようなのだ。
聖地、歌、名前、夢、線、そして、旅・・・たくさんの種族、たくさんの言葉、たくさんの価値観を超えて、命のように、血のように・・・
・・・わたしはわかっているのだろうか。わかっているかどうかもわからない。でも読めば読むほどに、何かに近づいていく。強靭で柔らかい何か。
私が今まで知らなかったもの、言葉にならないもの。


物語半ばを過ぎたあたりから、作者の古いノートの抜書きが、物語の大部を占めはじめる。
世界中の様々な民族の独自の価値観、人類の歴史、動物と人間の比較、残酷なまでの攻撃性・・・
いろいろな面から取り上げられた抜書きやメモ。最初、とりとめのないノート、と思ったこれらの言葉が、繋がっていく。
これまで読んできたアボリジニの物語は、私の知らなかったものだったはず。でも、そうではなかったかもしれない。
わたしたちは歩く、さまよう。生まれたときから、旅をしなければいられなかった。何のために旅をする。
わたしたちは歌う。歌わずにはいられないのだ。何のために歌う。
いや、もしかしたら、逆。何かの答えなのかもしれない。「だから旅する」「だから歌う」


物語は再びアボリジニの大地に戻る。――そして、彼らは満ち足りている。
物語は、どのような答えも提示するつもりはないのだろう。そういう物語ではない。
この物語は歌であり、旅なのだ。
ただ、わたしは歩きたい。歩きたい。大地にしっかり足をつけて。
はるかな空の高みに歌が吸い込まれていく。歌は喜ばしく「名前」を歌い上げる。