『皿の中に、イタリア』 内田洋子

皿の中に、イタリア

皿の中に、イタリア


ミラノの教会の前の広場で金曜日だけ開く朝市がある。
始まりは、そこに魚屋の店を出す、カラブリア出身の三人兄弟との出会い。
著者は、カラブリアの人々について調べているころ、この三人を訪ねたのだけれど、彼らは、挨拶の言葉さえ出し惜しむほど不愛想な兄弟であった。
しかし、扱う魚の新鮮さも、魚の扱い方も、絶品。助言はぶっきらぼうだけれど的確。
誇り高い三人からまともな話を聞くため、著者は金曜日ごとに大量の魚を買いに市場へ通うことになった。
そして、金曜日ごとに自宅の門戸を開放し、その大量の魚を調理して、来るもの拒まずのパーティを開くことにする。


著者が買い求める魚は、兄弟の助言により、高級なのからリーズナブルなのまで雑多。そこに加えられる野菜は、魚の個性を生かすための脇役として必要最低限。
時には、魚料理をひきたてるための抜群の相性のワインを買いに旅に出る。ワインにぴったりあうチーズをさがして旅に出る。
リグリアへ・・・サルディーニャ島へ・・・
日本からジュラルミンのスーツケースとともに海をわたってきた《シェイカー》も出てくる。
ミラノの家庭料理のこと。(庶民から上流階級まで)
羊に囲まれながら絶品チーズに遭遇した超多忙なビジネスマン。
ミラノのバールの「母の味」の穏やかな笑顔。
その晩、ひとりの子どもの前に置かれるだろうゴージャスな皿の上の五個のマカロニ。
離婚再婚を繰り返す男の家の大変なクリスマス。
一鍋の料理から、話題はどんどん広がる。


とりわけられた皿の上に浮かぶのは、多くの人たち・・・いろいろな料理上手に食べ上手たちでした。
彼らの人生も料理に混ぜ込まれ、二度と味わうことのできない究極の味になる。
そして、やがて、思う。
私が読んでいたのは、おいしい食材(高級とは限らず)の話だった? 食材の個性を生かし切った絶品料理の話だった?
いいえ、浮かび上がってくるのは人なのだ。
食べ物をめぐって、当然のことながら、人がいる。人々のドラマが、料理から立ち上がってくる。
それはきっと(まったく行ったことがないにもかかわらず)現代のイタリアを表現しているのだと感じています。
本を読みながら、季節のお皿を食べることで、わたしはイタリアを旅し、当地の人々に出会う。
著者が金曜日ごとの魚料理とともに、カラブリア人を発見したように、わたしもまた、ぼんやりとだけれど、イタリア人に出会わせてもらったんだと思っています。