『最後の紙面』 トム・ラックマン

最後の紙面 (日経文芸文庫)

最後の紙面 (日経文芸文庫)


ローマにある英字新聞社を舞台にして、
そこに関わる人々(パリ駐在記者、訃報記者、編集主幹、校正員、読者、社主・・・など)を主人公にしたオムニバス形式の連作短編が11。
物語の間には、この新聞の創刊から廃刊に至るまでの54年間の主だった出来事が、時系列順、まるで囲み記事のように挟み込まれていく。
長い時間が急流のように一気に語り降ろされる新聞社の歴史を横目に、人々のほぼ現在が緩やかな時間の流れの中でゆるゆると連なっていく感じだ。
最後の時に向かって。


一つの時代が幕を閉じる。


物語の主人公たちは、それぞれ他の物語の中で端役として顔を出す。ちょっとよそゆきの顔で。似たような人は他にもいそうな顔で。
それぞれが主人公の物語の中で、彼らは、かけがえのない一人に変わる。
孤独な一人。自分のデコボコさを持て余している一人。
気がつかなかった(気がつきたくなかった)自分の中に眠っていた「それ」と顔を突き合わせる物語なのだ、と思う。
その結果、思いがけないみじめさに置き去りにされたり、思いがけない変貌を遂げたり・・・
誇りをずたずたにされ、または、思いもしなかった温かさに触れる・・・
たとえ屈辱的な物語でさえも、主人公のジタバタぶりが可愛いと思うし、切ないとも思う。
それでよかったのかな。きっと良かったんだと思う。少なくても、いつかはそう思う。虚飾の部分を脱ぎ捨てることができたのではないか。
その先行きにはほのかな明るさがある。(あるはずだと思っている)


この明るさは、この短編集が緩やかな時間の流れの中にある、ということのせいかもしれない。
物語は続いているのだ。どんな終わり方をしても、その先の物語がある。先の物語のなかで、彼らはちゃんと生きている。
いつでも終わりであり、同時に始まりである、と考えることもできるのだ。
新聞社本体の歴史も、そこに関わる各人の生き方も。
ばかだな、生き方が下手なんだな、不器用だな、と思う。滑稽かもしれない。
でも、ちらちらとかすかに見え隠れするのは、不器用な彼らの誇り、矜持。
それが清々しく感じられる。


続いていくのだ。終わったとしても、彼ら、生きている。違うステージの上で。この先に何が起こるかわからないそれぞれの人生を。
これはひとつの礎の物語であるとも思えるのだ。