『リゴーニ・ステルンの動物記 ―北イタリアの森から―』 マーリオ・リゴーニ・ステルン

リゴーニ・ステルンの動物記 -北イタリアの森から- (世界傑作童話シリーズ)

リゴーニ・ステルンの動物記 -北イタリアの森から- (世界傑作童話シリーズ)

ずっと前に読んだ『雷鳥の森』の空気が蘇ってきた。
マーリオ・リゴーニ・ステルンの、主に動物について書かれた短編を集めた本です。
犬やロバなど、人とともに暮らす動物たち。
森を根城とする鳥たち、リスやヤマネや。
そして猟の獲物となるノロジカやノウサギ
人間である作者と、作者の前での立場の違う動物たちの物語を読みながら、物語に登場するすべての者たちに共通するものがあるのを感じる。
それは、深くて黒い森。人間も動物たちも、その内面に、森を抱えているように思えた。
美しい森は、残酷で理不尽な底なしの闇も持っている。
形さえ違うものの、森の闇に翻弄されながら必死に生きていくしかないささやかな生き物たちへの共感が、物語という形になったのではないか、と思う。


作者にとっての闇は、戦争の体験だろうか。
戦争は、この本では、すでに過ぎ去ってしまっている。ときどき、さまざまな登場人物の過去の物語として、断片的に描かれることはあるけれど、それはわずか。そして、それについてどう思っているか、とか、どう感じているか、とか、書かれているわけではない。
でも、感じる。今を必死で生き抜こうとする動物たちへの共感は、戦争という嵐の中を生き抜いてきた自分自身への共感のようだ。
戦争は終わった。・・・本当に終わったのだろうか。


>われわれ人間は自然のベールをはいでいるつもりで、実は少しずつ、自然を破壊しているのである。
森が徐々に失われつつあることを憂う言葉があちこちにちりばめられる。
『ヤマネ』では、戦争中、ドイツ軍の掃討作戦によって伐採され痛手を負った森が、後の平和な時代に、新たに傷つけられる。
今度は戦争の闇を忘れた人々の軽はずみな善意によって、森の闇を取り払い、より合理的で明るい森に変えられようとしていた。
その危うさったら。
暗い記憶も古くて深い傷も、抱え込んで生きていくのはしんどい。できればないほうがいい、と私も思う。
だけど、実際「ある」ものを捻じ曲げてまで隠したり切り取ったりしたら、明るさを目指したはずなのに、より一層深い、救いようのない闇に囚われることになるかもしれないのだ。


戦争の時代であれ、平和な時代であれ、人間というものはつくづく破壊することが得意な生き物なのだ、と思う。
森は闇を内包して静謐なまでに美しい。
森の闇を遠ざけることで、闇を忘れてしまうことが恐ろしい。
忘れてしまうことによって、忘れたものの代わりに忍び込んでくるものが恐ろしい。