『Dr.ヘリオットのおかしな体験』 ジェイムズ・ヘリオット


第二次世界大戦下、獣医ヘリオット先生はイギリス空軍に志願します。

>町はいたるところ戦争に領され、人々の心や目や考えにまで浸透し、空軍の制服や陸軍の車両があらゆるところに目につき、雰囲気は常にぴりぴりと緊張していた。
ヘリオット先生に軍服は似合わない。
厳しい規律と訓練にきりきりと縛り上げられたヘリオット先生の魂は、しばしば、想い出の中の村、ダロービーに戻っていきます。
豊かな自然に囲まれた牧畜と農業の村ダロービー。ゆっくりと時間が流れていくダロービー。
>雲間から日の光が洩れてあたり一面を黄金色に照らすと、丘のすそ野は急にいきいきと輝きわたる。草の緑の微妙な諧調や、枯れたわらびの豊かな青銅色などが、ぼくの仕事場であるこの世界を見事にいろどっている。
そこには料理の上手な妻のヘレンがいて、共同経営者(元上司)のファーノン先生と愉快なトリスタンがいる。
そして、彼の患者たちと、素朴で心優しい村の人たちがいる。
動物たちは、難しい病気やけがをしたり、おかしな症状に悩まされる。
ヘリオット先生は、彼らを前に、ときには辛い選択をしなければならない時もあるし、悔しい思いをすることもある。
それでも、奇跡は起こるのだ。言葉もなく命の不思議に打たれることもしばしば。動物も人も生きてそこにいることがすでに奇跡だったよ、と遅ればせながら気がついたり。
村の人々との交流はさらにおかしい。あの人にはとてもかなわないよ、と舌を巻いたり、思わぬロマンスに遭遇して頬をゆるめたり。どの人も憎めない。ヘリオット先生の彼らへの友情が、彼らのポートレートをあたたかいものに変えてしまっているようなのだ。


美しい思い出、楽しい思い出は、暗い時代にも、人を温める。体中に血を巡らせてくれる。
ヘリオット先生の心の豊かさ、しなやかさは、読書する私の心にも照りかえってくる。


ヘリオット先生の出征とともに、妻ヘレンもまた父の家に戻った。
二人の美しい思い出に満ちたホームは、いまや鍵がかけられているのだ。ひっそりと静まっているのだ。それを思うとつらい。

>・・・このぼくは別のテントに別の若い連中といっしょにいるのだ。まるでダロービーもヘレンも消えてしまったみたいで、獣医として毎日働いていたのさえ嘘のようだ。それでもやはりダロービーでの日々はぼくにとって一番大事だった。
この巻で、わたしたちはヘリオット先生のジュニアの誕生を知らされます。
戦争のさなか、その顛末をユーモラスに描写する明るさに、思わず微笑んでしまいます。