小さい牛追い/牛追いの冬

小さい牛追い (改版) (岩波少年文庫134)

小さい牛追い (改版) (岩波少年文庫134)

牛追いの冬 (岩波少年文庫)

牛追いの冬 (岩波少年文庫)


石井桃子さんの『家と庭と犬とねこ』を読んでいたら、『小さい牛追い』を読みたくなり、久しぶりに再読しました。


ランゲリュード農場は、家族経営の小さい農場。
働き者のお父さんとお母さんを中心にして、子どもたちも家族として労働の一端を担います。
上の男の子たち(オーラトエイナール)は、夏は、山で牛追いをするのです。
牛追いは楽しみな仕事ですが、大きな責任があります。
働きたくない時があっても、やめるわけにはいかないし、
預かった牛を迷子にするなんてもってのほか、万が一、牛が迷子になったら、泊りがけで何十キロも離れた農場から農場を訪ね、見つけ出さなければならないのです。
牛追いをしない日には、おとうさんやおかあさんの手伝い。薪割りや水汲み、家畜の世話・・・。
家族の輪が輝かしいのも、みんなが力を合わせて働いている、という自負があるからでしょうか。
とんでもない腕白坊主の男の子たちだけれど、とってもやさしいのは、小さい時から働き者の両親を手伝って働いていたからなんだろうね。
そして、寸暇を惜しんでの読書や遊びの描写がひときわ素晴らしいのです。
オーラやエイナールの仕事ぶりを見ていると、大人のわたしが恥ずかしくなってしまうくらい。
それでも、ときどき、遊びに夢中になり、やるべきことがおろそかになって起こるとんでもない事件や笑っちゃうような顛末には、ああ、子どもだ、とほっとする。



オーラたちが夏の日、山で出会ったインゲル。
たぶん、インゲルのやらされている仕事とオーラたちがやっている仕事の中身はそれほど違わないのではないか、と思うのですが、インゲルのしんどさはなんだろう。オーラじゃなくてもどうにかして解放してやれないか、と思う。
愛情の後ろ盾をもっていること、少しずつ一人前になっていくことを、おおらかで温かい見守りのもと後押しされているオーラと、それをもたないインゲル。
オーラやエイナールにとっては当たり前の喜ばしい仕事(愛する家族を助ける喜び、大きくなっていく自分への喜び)であるけれど、そのような喜びは、全ての子どもに平等に与えられているのではないのだ、ということを、二組(?)の牛追いを通して思います。


実直だけれど、弟の前でいかに自分の威厳を誇示するかといろいろやってる長子オーラと、先の事はあまり考えない要領のよい次男エイナール。
ちまちまとした一固まりに見える下の二人の女の子は、しっかり者で勝気なインゲリドと甘えっ子のマルタ。
それぞれの性格がしっかりと描かれていて、四人きょうだいって、こんな感じなんだろうなあ、と思う。
対立したり、時々とっくみあいのけんかをしたり、相手を出し抜こうと隙を狙ったりするきょうだいたち。
でも、いざとなったら、けなげに下の子を気遣う上の子たちの気持ちがいじらしい。


冬の間一緒に遊んだ隣家のお客、町のヘンリーのように、映画なんて見たことはないし、本物のボーイスカウトも知らないけれど、彼らの日々は、一日一日なんて輝かしいのだろう。
ヘンリーが、明日は町に帰るという日、ヤギを抱いて泣いている姿がわが事のようでした。
わたしも町(?)の子だから、オーラたちの毎日が羨ましい。
遊ぶこと、勉強することとともに、当たり前に働くことが。
お母さんの作るおいしい、そしてたっぷりの食事やおやつが。
来るものを拒まない受け入れの大きな家が。
私がこの本を読み終えて、本を閉じてもなお、彼らの生活はずっと続いているのだ、ということが。
次の夏は、きっと大変なことになるんじゃないかな、と思いやられるけれど、元気に山に登っていくだろう子どもたちが、ほんとうはかなり羨ましい。