地図になかった世界

地図になかった世界 (エクス・リブリス)

地図になかった世界 (エクス・リブリス)


多くの奴隷を所有するヴァージニア州の農園主ヘンリー・タウンゼンドの死から、この物語は始まります。
ヘンリーは黒人(自由黒人)であり、そもそも白人農園主ウィリアム・ロビンズの奴隷から彼の人生は始まったのだ。
それが、いまや自分と同じ人種を奴隷として所有する大農園主になっていたのでした。
一体、この男はどういう人物なのだろう。彼の妻は? 両親は? そして、奴隷たちは?


なんという広がりのある物語だろう。
この本を読む、ということは、大きな大きな地図を描いていくことのようだった。
まずは、まっさらな地図の中心に、ヘンリーの死、という点を置く。
ヘンリーの周り、身内や、奴隷たち、近くに住み関わりの合った人たち、そして、その人たちの人生、来し方も行く末も含めて、ひとつひとつ、丁寧に地図の上に配置していく。
物語が、ヘンリーから周囲に波及していくたびに、地図に記される点がふえていく。彼らを細い道や太い道、曲がりくねった道などが繋いでいく。
平面だけではなくて、この点の過去と未来とが上下に描かれ、地図は厚みを増し、広がる。さらに細部を埋めながら、どんどん豊かになっていくようだ。


登場するのは黒人の奴隷たち、そして、自由黒人たち、白人たち、その混血・・・
奴隷と自由黒人の間にある壁、自由黒人と白人の間にある壁に、はたと立ち止まる。
その壁をいとも簡単に壊して行き来できるように感じている者もいるが、それは権力のある方面からの一方通行にすぎない。
一方通行であることが、よりいっそう壁の堅牢さを際立たせているようです。


読みながら、思いだしていました。
先に読んだ『ハックルベリー・フィンの冒険』』(感想)の逃亡奴隷を助けるハックの苦悩のこと。
それから、絵本『ぬすみぎき』(感想)では、奴隷の価値はラバやロバなどの家畜以下だ、というようなくだりがあったこと。
この物語の中にも奴隷の少女を自分の娘として慈しんで育てる白人の夫婦が出てきた・・・でも、それは養女でない。しいていえば「愛玩動物」といっしょだ、というくだりがあったこと。


人間が人間を所有する、ということの非道さ、人として生きることを踏みにじられることや、それに対して不感症でいることへの嫌悪感が湧いてきます。
物語から悲しみや無念さも沁み出てくる。
でも、この物語は、ことさらにそういうことを訴えようとしているわけではないような気がします。
むしろこの物語に登場する人たち一人ひとり(人種を問わず)の賢さや善良さ、人と人との繋がりの温かさが心に沁み入ってくるような気がしました。
そして、一人ひとりの深い悲しみや孤独(人種を問わずです)がしっとりと沁みてくるようなのです。


思い通りにいかない人生・・・
希望が潰えて失意のうちに死んでいくこともある。自分の死の意味もわからないまま死んでいくこともある。
愛する人にとうとう言えなかった一言は、だれも聞くことがないまま消えて、帰りつきたかった故郷の土は永遠に踏めず、悪者はのさばる。
天塩にかけて育てた子は、親に背き、顧みることもない。
それでも、それでも、今日一日、温かい日であれば、と空を見上げる。
最後に織り上がった地図をみれば、ただ美しく、神々しいような思いに、胸がいっぱいになる。
この地図のどの人もどの人も私は良く知っている。ああ、あのとき、みんなみんないたね。懐かしい思いでいっぱいになる。
この輝きはなんだろう。
静かに燃え続ける誇りかもしれない。かけがえのない一人ひとりの胸にともる尊厳の火。