ソロモンの指環

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)


旧約聖書の述べるところにしたがえば、ソロモン王はけものや鳥やさかなや地を這うものどもと語ったという。そんなことは私にだってできる。(中略)自分のよく知っている動物となら、魔法の指輪などなくても話ができる。
↑比喩でも誇張でもないから、ローレンツ先生、すごい。
ただ、魔法の指輪なくして、動物たちと語れるようになるためには、
時間をかけて(心身ともに使って)、数々の失敗を乗り越えて掴み取ったものなのだ。
でも、それは、人間同士が友情をはぐくむのにも似ている。


ワタリガラスの微妙に違う鳴き声に込められた意味。
ハイイロガンの親になる、ということ。
ジャッカル系とオオカミ系の犬の性質のちがい。
そして、優雅に近づいてくるノロジカをみつけたら、どのように迎えたらいいのか。


動物と人間とが、それぞれの領分に敬意を払いつつともに暮らせる環境(町の人びとの容認?)が、ちょっと羨ましい。
いや、そのように感じさせるのはローレンツ先生のひとかたならぬ奮闘の結果であろう。
しかし、それに巻き込まれざるを得ないのは家族。
ローレンツ博士のような熱心で勤勉(!)な動物行動学者と一緒に暮らす人間の苦労が半端じゃないことはよーくわかった。


この本の副題は『動物行動学入門』、どんなに楽しくおもしろくても、まずは『学』なのだ。
なのだ。が・・・、それはテキトーに忘れる。
研究者達の不断の努力のたまものに敬意を払いつつも、その経緯を単純にすっとばす。
各動物固有の行動の意味、言葉(相手に自分の意志を伝達する方法)を知ることにより、
人間と動物との間に、どんなに細やかな気持ちの「通い合い」が実現するか、ということを知り、
こんなことができたらどんなにすばらしいだろう、と単純にトキメク。


ことに鳥たち。
空を飛んでいく野鳥たちに挨拶を送り、一緒に暮らす鳥たちが対等な関係の相棒になる、
そんなことも夢じゃないのかなあ、とノホホンと思う。


「トリ」と言う言葉を、物覚えの悪いことの代名詞みたいに使うこともあるけれど、
実は(一部の鳥たち、たとえばワシとかを抜いて)彼らはこちらが思っているよりも数倍も賢く、
その賢さでもって、人間のものさしとは別の物差しを持ち、意志の疎通を図り、上手いこと暮らしていることを知ります。
『永遠にかわらぬ友』の章、ワタリガラス達の話を読み、カラス達に抱いていた偏見が少しだけ変わってきた。
私は、カラスが、正直苦手だった。
彼らがかしこいのはうすうす(?)知っている。そして、けんかっ早い無法者である、と思っていた。
徒党を組んだごろつきども、くらいの感覚である。
いま、少しだけ、尊敬の気持ちで彼らを眺める。
彼らには彼らなりの仁義があるんだね。
人には人の、カラスにはカラスの、それぞれのルールがある。
自分の物差しだけが物差しではないのだ。