怪物はささやく

怪物はささやく

怪物はささやく


主人公コナー少年のあまりにしんどい境遇が苦しくてたまらなくなる。
孤独、不安、彼をとりまく闇の深さに。
抱きしめることもできないし、安易に手を差し伸べることもできないし、
腫れ物に触るように、彼から目をそらすしかなかった周囲の人たちと、わたしも同じ。
リリーとハリーの勇気に畏れいる。
間違っていようがいなかろうが、形がどうであろうが、
この子たちは、少なくても遠巻きの円陣から、その内側に恐れずに踏み出したわけだから。


怪物は、コナーの求めに応じたと言った。
庭の古いイチイの木から怪物が立ち上がり、真夜中にコナーのもとにやってくる。
夜ごと、三つの物語を聞かせるために。そして、四つ目の物語―怖ろしい物語―をコナーに語れ、という。


怪物と物語・・・
なぜ物語なのだろうか。

>物語はこの世の何より凶暴な生きものだ。/物語は追いかけ、噛みつき、狩りをする。
>物語とは油断のならない生きものだ。/物語を野に放してみろ。どこでどんなふうに暴れ回るか、わかったものではない。


物語とはなんなのだろう。
そもそも怪物はいったいどこからやってきたのか。
怪物は…コナー自身の中から現れた。コナーのなかのもう一人のコナーだったのだろう。
物語を語れ、と怪物は迫る。
ほんとうに語りたかったのは、コナー自身であったろう。


三つの物語のどこにも、主人公コナーはいた。三つの物語はコナー自身の物語だった。
物語は暴れる。一話、二話、三話と、語られるごとに、いっそうコナー自身と同化し、いっそう大きく暴れるよう。
だけど、四つ目の物語が現れたとき、一番目の物語の本当の意味を、遅ればせながら知った。
主人公の行為と願望と。それを直視することはあまりに酷い。
酷い・・・
酷いのは物語だろうか、現実だろうか。
いつのまにか物語は現実以上の現実になっていく。
あまりに酷いことが現実に起こったとき、私だって目をそらす。目をそらすことで自分を守ろうとする。
物語はその中途半端さを容赦なく打ち砕く。
打ち砕くことで、決して砕くことのできないものを取り出すため、かもしれない。
それができるのが、真実の物語なのだろう。
コナー自身の物語であり、同時に私自身の物語である。


物語の力と、物語の力への絶対的な信頼とを見せつけられる。

>物語は大事な意味を持っている。/時には、この世の何より力を持つこともある。そこに真実が含まれているならば。
本当にそう思う。



この本がよかったから、なおのこと思ってしまう。シヴォーン・ダウドさんが生きていて、当初の予定通り彼女によって書かれたなら、そうしたら、どんな物語になったんだろう、って。