おかしな本棚

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>「本の本」としては前代未聞かもしれません。
はっきり言って、ガイドブックとしてはきわめて不親切です。

あっ、そうか、これ本の本だったんだ、ガイドブックでもあったんだ、と気がつきました。ここまで読んで。
そして、うふふ、と楽しくなりました。なんて自由なんだろう、なんて本って素敵で・・・限りがないのだろう。


「どこにもないもの」を扱っているわけではありません。
ちゃんと存在する「本」(一部、これから書かれる本あり)なのに、なんだろう、この独特の景観。
そして、なんだろう、この居住まいの不思議さ、美しさ。


「ガイドブックとしてはきわめて不親切」ですか?
とんでもありません。
こんなに、思いもしなかった方向から
本の美しさ、すばらしさを、そして自由さを語ってくれたガイドブック(ガイドブックとして見るなら、です)は今までありませんでした。
前代未聞ってほんとです。


たくさんの写真はすべて本棚の一列分の棚です。
私たちが見られるのは、だから、ほとんど本の背だけです。
人の本棚を見るのって楽しいと思いませんか?
そう思っていたんです。でもなぜ楽しいのか、わくわくするのか・・・今わかった。
背は語るのですね。
表紙以上に、そして、レビュー以上に。
静かに背中を向けることは、沈黙ではなかったですね。なんて優雅に、語って聞かせるだろう。
その本の話、そして、その本がある本だなの話を。
それだから本棚って魅力的なのですね。
(わからせてくださってありがとうございます、クラフト・エヴィング商會


しかもこれらの本棚の写真・・・一枚一枚に名まえがついているのです。
ある日の本棚、
見知らぬ本棚、
旅する本棚、
頭を真っ白にする本棚
寝しなの本棚・・・
背を向けた本たちが、それらの名まえのもとに、そっと集まって、自分の、そこしかない、という居場所にちゃんと立っている
(時々寝ている、よりかかっている。)
それだけで、物語になってしまう・・・
なんだか興奮してしまう。


本を語るなら、まず読まなくては、と思った。内容を知らなくて本を語るなんてとんでもない、と思った。
でもこの本は・・・ときには(たぶん半分くらいは)「読まず」にその魅力が語ります。
でも、それは、夏休みの宿題の読書感想文を読まずに書こう!という無謀な試みとは明らかにちがいます。
というか、
そもそも読んで内容を知ってこそ語られるべき、という考え方とは、たぶん世界がちがう?
本を手にしたら(いえ、そういう本がある、あるかもしれない、と認識したときから)
どんな本だろう、と想像する喜び、
手に入れる瞬間をわくわくしながら待つ喜び、
自分の本棚にいる本を眺めながら、この本に出会った日の思い出をたどる喜び、
こういう喜びも、本から受ける喜びなんですね。
・・・
装丁やタイトルの妙、この本によってもたらされた物語や・・・もっともっとたくさん。
読んでいない本にはこんなにたくさんの魅力が詰まっているのです。


本がますます好きになります。
今までよりも、もっともっと自由に、広々とした気持ちで本が好きになる。
本と一緒に冒険したい、という気持ちが膨らんできます。


ページを繰りながら、本の背ばかり見てきたけれど、本を閉じたとき、この本の小口の美しさを発見しました。
この本は背中だけでなく、おなかも・・・美人なんです。
それを黙っているとは、なんという奥ゆかしさ。なんてチャーミングな本。さすがクラフト・エヴィング商會でした。