馬を盗みに

馬を盗みに (エクス・リブリス)

馬を盗みに (エクス・リブリス)


成長に伴って、一つずつかけがえのないものを喪いながら大人になっていくこともある。
この物語は、喪う物語です。
白夜の夏と長い夜に閉ざされた冬を持つ北欧。独特の自然環境が、この物語にはなんてよく似合うのだろう。


森の小屋に一人住む老人の簡素でこざっぱりとした生活は、無駄のない美しさと静けさがあり、魅了されます。
季節はこれから冬にむかうところです。
彼が思いだすのは、15歳の夏。憧れ慕う父と二人の日々。少年の日の痛みさえも、甘美に思いださせる夏だった。
大切にしているもの、輝いているものが今にも失われそうな、漠然とした不安が、彼の美しい夏に陰りを見せています。
ユベール・マンガレリやヘルマン・ヘッセをちょっと彷彿とさせるような少年の内面の描写が好きです。
老人の現在と思い出の中の夏は、冬と夏の対比であり、静と動の対比でもあります。


訳者あとがきのなかの
「夏の光が鮮烈であればあるほど、冬の静謐な光が際立つ。白夜の夏と夜の長い冬は、互いに照射し合うのである」
という言葉そのもののように、夏と冬の照り返しを思い起こさせるものがたくさんありました。


北欧の森の美しさ。自然描写のまぶしさは言葉にならないほど。素朴な登場人物たちはみな口数少ない。
そうした背景のなかにだんだん骨格をなして来る物語は、重たくて静かです。
物語の謎をふんだんに盛り込んだ重さと、美しい自然描写の照り返しもまた、互いに引き立て合っているようです。


タイトル「馬を盗みに」という言葉は、大きな意味を持っていますが、その意味はひとつだけではありません。
戦時中にある男がこの言葉を口にした時。あの夏、少年たちが口にした時。少年が父に告げた時。
ひとつの言葉が、別の場所別の場面で別の意味で、忘れられない物語を呼び起こす。
そして、たぶんこの言葉が何かが起こるための引き金になっていたのかもしれません。極めて静かに。


何度も繰り返し表れる似たような場面でのよく似た出来事が、言葉が、ゆっくりと結びあわされていく。
見えなかったもう一つの物語が見えてくる。
喪われたものは二度と戻らない。取り返しがつかない分、余計に輝かしい。
だけど、喪ってしまったら空っぽになってしまうのだろうか。


いや、喪ってもまだ繋がっている。痛みが残るから。
あることに対して痛みを感じる、ということは繋がっていることのあかしかもしれない。
最後の一文がとてもよいです。
痛みを感じるとしても、その痛みのあるじはまちがいなく自分自身なのだ、ということを最後の一文で確認します。
それは娘が引用したディケンズの『ディヴィッド・コパーフィールド』の出だしを思い出させます。
「わたしがわたしの人生の主役になれるのか、それともその座はほかの人のものになるのか、これからのページが明らかにすることだろう」
「痛み」に対してどのような態度(?)をとるか、ということを決めるのは、主人である自分。
痛みを自分に従わせる、ということかもしれない。


季節は冬にむかう。でも簡素で清潔な暮らしぶりに、いっそ明るく見える暗さと寒さがここにはあります。そして静寂。
読者としてはこの静けさのなかに置いていかれるのはうれしい。こういう充実もあります。
深い雪の下から、夏のトウヒとコケのにおいがしてくるような気がします。