遠まわりして遊びに行こう

遠まわりして、遊びに行こう遠まわりして、遊びに行こう
花形みつる
理論社


本を開くとページの間から、ぎゃんぎゃんぎゃんと、おサルたち 小学低学年の子どもたちの声が飛び出してきそう。


思う存分、草をつみ、シロツメクサの首飾りを作れるような場所は、今の都会ではなかなかみつけられないかもしれないなあ。
芝生や花壇の整った公園もいいけど、何をしても許される一面の草はらの公園が都会にあったらいいな。
(かえって管理が難しいのかな。放っておくとジャングルになっちゃうし・・・)


シロツメクサを摘むにも公園。
子どもが野放図に遊ぶにも塾。


「昔はねえ・・・」と言ったらしらける。「今の子どもたちは・・・でも環境がこんなだから・・・」と嘆息しても仕方がない。
ないものはないのです。
不自然だろうがなんだろうが、それが欲しい、必要だ、と思うなら、今できる方法をさがすのだ。
子どもの世界だけではないね。
介護だって、近所関係だって、なんだって・・・
「昔はよかった」「昔はこんなじゃなかった」って、言ったって仕方のないことを言うより、ないなら、捜そう、作ろう・・・できるんだよね。
・・・脱線しているのを承知で、勝手に納得して元気になっていました。


新太郎君、18歳。
不器用な優等生だなあ。
四角四面、でも誠実。そういうことをやりたいとかやりたくないとか、言ってはみても、
状況がそうなら、その与えられた場所で、求められている以上に一生けんめいやってしまう。自分の全てを使って。
ほんとに不器用だなあ。要領わるいなあ・・・
憎めない。こんなに一生懸命。
だけど、つまらない、と言われるのもわかる。だって、彼には遊びがないんだもの。遊べないってつまらない。
そして、私も実はそうなのだった。不器用で真面目で遊びのないおばさんなのだ。
同じ一生なのに、そんなの損だよねえ。と、しみじみと思う。でも今さら千成はやれない、と思ってしまう・・・ほんとに損だよねえ。


もし、この本のストーリーを要約したら、うんとつまらない文章になってしまうかもしれない。
この本の魅力は絶対伝えられそうもない。
要約にも遊びはないね。
この本の魅力は遊びだ。遠まわりだ。読者をうんと遠まわりさせてくれた。
遠まわりさせてくれたけれど、決して迷子にはならなかった。
この本の作者は正宗さんみたい。
だから、たくさん遠まわりを楽しんだ。
おサルはいいな、ほんとにいいな。
引率者じゃないから、安心して、笑っていられた。それなのに、じわっとくるところは、しっかり当事者にさせてもらえた。